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自縄自縛日記

貝塚爽平『富士山の自然史』

2014-02-23 13:04:02 | 関東

貝塚爽平『富士山の自然史』(講談社学術文庫、原著1990年)を読む。

本書は富士山そのものについての本ではない。原題は『富士山はなぜそこにあるのか』であり、そのような問いかけが、自然の成り立ちについての疑問と、それに対する研究成果の提示という本書の性格をよくあらわしている。本書の中心は、むしろ東京の自然史についてであり、同じ著者による名著『東京の自然史』が1979年に出されたことを考えれば、その続編、またはより軽いエッセイのようなものとして捉えるべきだろう。その意味で、文庫化に際しての改題は改悪である(わたしも勘違いして買った)。

もっとも、本書は、間接的には富士山についての本でもある。なぜならば、富士山からの火山灰がなければ、関東ローム層は形成されず、東京は現在より5メートルか10メートルは低く、また、台地や谷があまり無い「のっぺりした地形」になっていたであろうからだ。

本書によると、富士山の現在の体積の半分相当くらいは、過去6万年間に東側の関東平野や太平洋に降りそそいだ。東京においては、1万年に1メートル(100年に1センチメートル)くらいの速度で土地をかさ上げしていった。もしこの現象がなければ、そして、江戸城がこの地に築城されることもなく、日本の歴史はずいぶん異なったものになっていただろう。

このようなマテリアルの流入と、気候変動と、海や川による土地の侵食が、現在の東京の姿を生み出した。十数万年前の間氷期は現在より暖かく、関東平野は海の底にあった。最後の氷河期であるヴィルム氷期(約2万年前)には、逆に海が後退し、関東に沢山の谷が刻まれた。そして、その後の海進による侵食と台地の形成、また海が引いて下町などの沖積地の形成があった。『東京の自然史』と同様に、とても面白い。

もちろん、地形の形成プロセスは、同じ東京のなかで場所によって大きく異なる。たとえば、神田川の勾配は、井の頭池から高田馬場西側あたりまでは比較的フラットであり、この部分が関東ローム層の侵食ではなく、関東ローム層が都度洗い流されたことによって出来たことを意味する。このことは『東京の自然史』(1979年)にはなく、榧根勇『地下水と地形の科学』(1992年)によれば、1988年頃に明らかになったことだという。ミクロとマクロの両方の視点が交錯することが、地域の自然史の魅力なのかもしれない。

●参照
貝塚爽平『東京の自然史』
榧根勇『地下水と地形の科学』
中沢新一『アースダイバー』