Sightsong

自縄自縛日記

ブルース・リー『ドラゴンへの道』『死亡遊戯』『死亡の塔』

2014-02-08 20:22:42 | 香港

最近、ブルース・リーの出演作を何本か観た。小中学生の頃、カンフー・ブームがあり、適当にテレビで観たのかもしれないが、記憶がごちゃごちゃになってよく覚えていない。(そういえば、タイトル画面では、無理やりテレビ画面に収めるために縦長になっていたな・・・。)

■ ブルース・リー『ドラゴンへの道』(1972年)

ローマにやってきたリーは、マフィアから、中国料理屋を護る破目になってしまう。ブルース・リー自らの監督作だが、変にコミカルな作りが空滑りしている。

最後に円形闘技場においてチャック・ノリスと闘う場面が最大の見もの。やはり、モハメド・アリのように軽やかなステップを踏まないとリーは強さを発揮しない。

ネタという点では、途中で日本人格闘家と闘う場面が白眉である。日本人のくせに、リー(タンロンという役名)に対して、地の底から響いてくるような声で、「お~ま~え~ぐゎ~タァンロォンくゎぁ~」と絞り出すのだ。凄すぎて笑うより痙攣する。

■ ロバート・クローズ『死亡遊戯』(1978年)

リーが1973年に亡くなる前年に撮ったフィルムをクライマックスにもってきて、前半の展開を代役を使って撮った作品。代役は極力顔をみえないようにしており、ときどき挿入される生前のリーの顔との組み合わせがひたすら不自然。特に、リーの代役が鏡に向かっている場面で、顔の部分だけリー(本物)の写真を貼っているところには、引いてしまった。

そんなわけで、見所は、最後に塔を登っていっては敵をひとりひとり倒す場面であり、これだけで不自然さを許してしまう。

※ほんらい使われるはずだった場面を含めた『死亡的遊戯』というフィルムがある(加藤久和さんにご教示いただいた)。
リーの仲間2人の格闘シーンは物語の都合上カットされたようだが、それを除いても、勿体ないところばかりである。これを観ると、フィルムの後半でナレーションが囁く「He is the greatest.」ということばが実感できる。

死亡的遊戯①
死亡的遊戯②
死亡的遊戯③
死亡的遊戯④
死亡的遊戯⑤

■ ウー・シーユェン『死亡の塔』(1980年)

これもリーの死後に作られているため、やはり不自然極まりない。物語の途中でリーが死んでしまい、その弟だというタン・ロンが突然主役になる。(前半は、『燃えよドラゴン』の未発表フィルムをつなぎあわせたという。)

特にみるべき点もないか・・・。

●参照
ロバート・クローズ『燃えよドラゴン』(1973年)


「3人のボス」のバド・パウエル

2014-02-08 14:14:45 | アヴァンギャルド・ジャズ

ジャズを聴きはじめたころから、バド・パウエルの神がかったようなピアノが好きで、なかでも、1940年代後半から50年代初頭までの演奏に魅かれていた。1924年生まれだというから、20代の後半ころにあたる。スピードとただならぬ抒情性とがあい混ざって、他のピアニストが発することがない世界を創り出していた。

一方、デクスター・ゴードン『Our Man in Paris』(Blue Note、1963年)という有名な盤があり、バドも参加している。わたしは今に至るまで、残念ながら、デクスター・ゴードンのイモっぽいサックスがまったく気に入らないのだが、この盤のなかで1曲だけ、デックス抜きのピアノトリオによる「Like Someone in Love」がとても好きだった。過剰なブロック・コードの連発が悦びに満ちたような、不思議な演奏である。このときのベースはピエール・ミシェロ、ドラムスは古参ケニー・クラーク

バドは50年代に少し精神を病んでしまい、その影響で、雷鳴のような凄まじい演奏が出来なくなったと評価されている。また、1959年からは5年間ほどパリに移住し、そこで落ち着きを取り戻したのだと言われてもいて、バドをモデルとした主人公を、他ならぬデックスが演じた映画もある(ベルトラン・タヴェルニエ『ラウンド・ミッドナイト』、1986年)。(イモと言いつつも、このときのデックスのサックスには、やられてしまう。) なお、1962年にデンマークの街を徘徊するバド・パウエルをとらえたドキュメンタリー・フィルム『Stopforbud』(>> リンク)では、デックスがナレーションをつとめている。奇縁というべきか。

デックス抜きの演奏に聴くことができるのは、まさにその時期のバドである。どうやら、このピアノ・トリオは、3人ともボス格だという意味なのか、「The Three Bosses」と称していたようだ。ケニー・クラークやピエール・ミシェロの個性を特筆するような評価に出会ったことがないが、よほど相性がよかったということなのか。

『A Portrait of Thelonious』(CBS、1961年)や、『Blue Note Cafe Paris 1961』(ESP、1961年)も、このピアノ・トリオによる記録である。最近までほとんど放置していたのだが、改めて聴いてみると、癖になってしまうほどの魅力がある。

一方のタイトルの通り、セロニアス・モンクの曲が多い。しかし、当たり前のことだが、演奏がまとっているアウラは、バドのものに他ならない。

2枚両方で演奏している「Monk's Mood」や「There Will Be Never Another You」を聴き比べてみると、8か月先立つ演奏である『Blue Note ・・・』では粗削りで、『A Portrait ・・・』では、より余裕をもって装飾音を挿入したり、即興も拡張しているように聞こえる。また、録音は、『A Portrait ・・・』のほうが断然良い。

その程度の違いがあっても、バドは唯一者バドであり、掬っても掬いきれないほどの何かが提示され続けている。その何かが、執拗に繰り返されるブロック・コードの奇妙さによるものか、音を外す手癖か、はっきりとは言えないように思える。神がかりなどという常套句は、高速の運指だけにあてはめてしまっては勿体ない。

●参照
『Jazz in Denmark』 1960年代のバド・パウエル、NYC5、ダラー・ブランド
ヨーロッパ・ジャズの矜持『Play Your Own Thing』(バド・パウエルの映像も収録されている)