隠岐の山中にて原始神道の様子を見学する

2024-11-17 16:48:41 | 離島旅行

 

 

隠岐の北西部(五箇)に上陸してからまずは北端の白海海岸へ行き、次は北東部(中村)の春日神社を訪れたんで、この後は南東部の海岸沿いに遠征する…と思っていたのか!

 

その辺はあんまし見るところがないんで、そこから内陸部に入り込んで、山中の見所を攻略していくことにしますよと。

 

で、まず最初に訪れたのが冒頭の大山神社ってワケ(・∀・)

 

え、これのどこが神社なん?と思われるかもしれないが、この大山神社には社殿がなく、「山全体を祀る」というダイナミックな仕様になっておりマス。ついでに言えば神木にかづらを巻きつける(下の写真)のは日本最古級の山祭りの形式を残していると言われており、

 

 

 

 

その意味では「うわーこの山スゲーな・・・」「じゃあこの山は神として祀ろう」「目印として鳥居だけ立てとくわ」みたいな、古の自然崇拝的形式(社殿なきステゴロスタイルw)を色濃く残しているということなんだろう。

 

 

 

 

 

 

ちなみに、山中への道路標識には大要「あんましメンテナンスが行き届いてないから、そのつもりで注意して走ってね」という文言の標識があり、思わずざわ・・・ざわ・・・となったが、まあ落石やら倒木のパラダイスみてーな酷道の動画を沢山みてきたワイにとっては、まだ全然優しいものである(強がり)。

 

 

 

 

さらに島の中心部に向かって車を走らせ、「乳房杉」と呼ばれる大木の所へ到着。

 

 

 

 

 

 

 

 

なんか屋久島とかにありそうな雰囲気の大木だよねえ。ちなみにBGMはロマサガ2のサラマットw

 

 

 

 

ってこれ違うヤツか。まあこれはこれで合ってるからいいや(・∀・)

 

 

 

 

 

これのどこが「乳房」なのかはわからないが、ともあれ異形というか、分かれて伸びた枝から強烈な生命力を感じることはできるように思える。ああ、それでその生命力→生命の源→乳房という連想ゲームなのか(違う)。

 

 

 

 

もちろんこれも祀られております(ちなみに名称は岩倉神社)。そして社殿なし。まああったとしてもメンテナンスとかが超大変だから、この形態が合理的だと思うわ。

 

方言における古典文法の残滓もそうだけど、こういう地方って古の姿が残存してたりするのがおもしろいんよね。だから、世の中が新しいものへ向けて進んでいる時代には(言葉は悪いが)地元の人間以外見向きもされないんだけど、ナショナリズムなどで古いものが見直される時期になると、かえって「辺境が中心になる」という転倒が生じたりするんよね。

 

まあその辺りが後の隠岐騒動激烈な廃仏毀釈にどの程度影響したかについては、慎重に検討する必要があるだろうけど。

 

さて、この先も長いから、そろそろ次の目的地に向かうとしようかね。


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