隠岐の島町北西の伊勢命神社から時計回りに移動し、北端の白島展望台へ。
その途中に一之森神社があるので立ち寄ってみた。
冒頭の質実剛健な山門からは広い境内が続いているように見えるが、
社殿には割とすぐに辿り着くことができる。
このように境内そのものは大変質素なのだが、ここでは2年に1回「武良祭」という祭が秋に開催されている。
祭り自体は五穀豊穣を祈る典型的なものだが、隠岐の土壌が、知夫里島の牧畑について以前触れたように、痩せていて農業には厳しいものだったことからすると(しかも秋は結構雨が多い)、本土よりも切実な希求に基づいていた、とは言えるかもしれない。ちなみに隔年で実施され、以前は9月に行われていたものが、今では10月に行われているそうだ。
祭りの実施時期とその変更か・・・これはこれで興味深いテーマやな。
例えば七夕で言うと、7月7日はよく天気の悪さ(星の見えにくさ)でネタにされることが多いが、そもそもは旧暦の7月7日は現在の8月上旬~中旬頃であり、真夏で梅雨はとうに明けている時期になる。さらに言えば、旧盆と非常に近い時期に行われるイベントでもあった。
これが今の7月7日実施になったのは、明治に入って太陰太陽暦から太陽暦(グレゴリ暦)に変更した際、行事の日付はそのままでも暦が変化したことで実施時期はズレたことによる。
こうして季節との関連性といった意味づけや行事同士の結びつきが薄れてしまったわけだが、この辺りは明治に入ってからいわゆる「国家神道」のために急ごしらえで宮廷行事を作り出したり、あるいは神仏分離や一村一寺令の中での宗教施設の統廃合や名称変更が行われたりしたことも想起させる(念のため言っておくが、これはひとり日本だけの話ではなく、「ケルト神話」やヒンドゥーナショナリズムに基づく神話の再解釈など枚挙に暇がない)。
要するに、「古くから行われている」と見なされている諸々の現象が、いかに「作られた伝統」なのかを紐解いていく上で、祭りの今昔というのは有益な視点の一つと言えるだろう。
そんなことを思ったところで、次の目的地に進んでいくこととしたい。
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