巧言令色&クレイG全開の人物画が運慶・快慶のように見る者たちを威圧するって、これもうサムネで勝ち確やんけ🤣!
とまあ実に素晴らしいセンスのしくじり皇帝動画なワケだが、「晩節を汚す」という言葉があるように、英明として評価された人が後に愚昧な行いで評判を起こす事例は少なくない。これは地位の高低や貧富の差は関係ないが、その人間が皇帝という強い権力を持つ存在であると、影響が大きいだけにインパクトも巨大で、思わず「どうしてこうなった・・・」と爆笑驚愕やら嘆息やらで印象に残るわけだ(だからこそ康熙帝なんかは傑物と評価できるわけで。なお、後代の王朝による正当性の創出=演出の必要性といった史料上の偏りもあって、本当はそれなりの背景があったものが適当な理由をこじ付けが行われたりもする・・・といった点には注意が必要)。
さて、今回は李寿、高洋というクレイジー皇帝をわんさか排出、もとい輩出した五胡十六国時代の二人のしくじり皇帝が紹介されている。李儒については
1;元々皇帝になる予定がなかったが成り行き上即位せざるをえない状態に追い込まれた
2:元々善政を行うだけの頭脳は持ち合わせていた(トップじゃなければ有能な部下・上司)
3:模範を設定したのはよいが、それを実現するため強権的政策・振舞を行った
4:結果として社会を混乱に陥れた
といったことを鑑みると、我が国で「万人恐怖」と言われた室町幕府六代将軍の足利義教が思い浮かぶのは私だけだろうか?
彼も最初の方こそ様々な改革に着手したりと善政を敷いていたように見えたが、(義満を理想視していたので)将軍の強権体制を取り戻すためか様々な無茶も行い、それにそぐわない現実にヒステリックな反応をするようになり、結果として恐怖した部下から暗殺される(嘉吉の変)という最期を迎えたのであった(「真面目な人間ほどキレると怖い」とはよく言ったもので、義満はジャイアン的ではあったがさじ加減はそれなりに心得ていたのに対し、そもそも僧籍に入っていて帝王学も学べておらず、加えて自分の理想とかけ離れた現実の分権体制のギャップに苛立ちが募った結果、暴走していったものと思われる。まあ正当化できないほどには彼の所業はクレイジーだけどもw)。
会社でも、ある地位で極めて有能な人間が、地位が上がった途端全く期待にそぐわないパフォーマンスに終始する、ということがまま見られる(李寿はその典型例に見える)。ただ、会社の管理職レベルなら数十・数百人の社員に影響が出るだけで話が済むが、皇帝となるとその権力も影響範囲も絶大なわけで、まあ被害もエライことになるって事例と言えるだろう。
ただまあ繰り返しになるけど、李寿や義教は半ば状況が彼らを権力者に仕立て上げてしまったわけで、その点は同情の余地があるかなあと思う次第である。
それではまた次のしくじり権力者動画でお会いしましょう。さよなら、さよなら、さよなら・・・
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