著者の「死す」三部作の最後は誕生日にマッキンリー冬季単独初登頂を達成した帰り道に行方不明となった植村直己を描いた本。だが前作の加藤保男は山ヤしか知らないし、上温湯隆に至っては冒険家として名を成す前に亡くなった感がある。対して植村直己は(死後ではあるが)国民栄誉賞を受けたほどの著名人であり、「三部作」の人選基準は何なのだろうと思う。
疑問はさておき、他の文献でも植村の足跡は読んでおり、もちろん初出のエピソードなどあるものの、著名人であるが故に本書は目新しさに欠ける印象。ただ、臆病で慎重ではあるが、やると決めたら絶対に退かない粘り強さ、しぶとさと言う性格はよく伝わってきた。個人的には、彼を少し知ったころは極地犬ぞり行をしている頃で、例え綿密な計画を立てるのが大変でも、予定地点に辿り着くことが困難でも、所詮は資金と物量に物を言わせた「極地法」の登山と根本的な違いはないじゃないかと、あまり好きになれなかったことを思い出した(そういう意味では、角幡唯介の方が好きな私である)。
2021年3月22日 自宅にて読了
疑問はさておき、他の文献でも植村の足跡は読んでおり、もちろん初出のエピソードなどあるものの、著名人であるが故に本書は目新しさに欠ける印象。ただ、臆病で慎重ではあるが、やると決めたら絶対に退かない粘り強さ、しぶとさと言う性格はよく伝わってきた。個人的には、彼を少し知ったころは極地犬ぞり行をしている頃で、例え綿密な計画を立てるのが大変でも、予定地点に辿り着くことが困難でも、所詮は資金と物量に物を言わせた「極地法」の登山と根本的な違いはないじゃないかと、あまり好きになれなかったことを思い出した(そういう意味では、角幡唯介の方が好きな私である)。
2021年3月22日 自宅にて読了