3月17日、今日は離島訪問がメイン。午後の船に乗るまでに1か寺のみ訪問し、そのあとプチツーリング。
(40)観自在寺
いよいよ3県目、愛媛に入った。徳島の1番から最も遠い札所らしい。数的にも半分に近く、半分を終えた感がしてきた。境内には水掛けの仏さまがズラリ。
(観光)高茂岬
愛南町に、本土から大きく突き出した半島があり、県道で周回できるので走ってみた。県300は細いクネクネ道、途中から全く人家はなく、道を作った理由が分からない。突端の高茂岬からは真っ青な海の向こう、うっすら九州が見えていた。道は県34となり戻ってゆく。こちらは、かなりマシな道路だった。
(観光)紫電改展示館
過去にも来たが県34の途中にあるので再訪。じっくり見入っている若い二人組の女性客がいた。歴女かな?人々の記憶からこの飛行機が、そして戦った時代があったことが消えませんように。
(離島―2)鵜来島(うぐるしま・写真)
宿毛市の沖に2つ、有人離島がある。これらを回る船が1日2便しかなく、両方を訪問するにはどちらかの島に泊まらなければならない。考えた末、午後の船で鵜来島→泊→翌朝の船で沖の島→翌夕の船で宿毛市戻り、とプランを立てた。鵜来島は人口20名ほどの小さな島、宿はあるが釣船乗船とセットでないと泊まれない所ばかり、ほぼ唯一の宿に何とか連絡がつき泊まれることになった。
島は港の周辺、斜面にへばりつくように建つ家々があるが半数以上は空き家。その奥に今は利用されていない土地が広がる。第二次大戦時は日本兵も数百人常駐したほどの要衝だった由、そして放棄され草木の生い茂った段々畑が痛ましい。宿主の田中さん(島出身者)と島の活性化、釣り客以外の観光客誘致について色々とお話ししたが、「そもそも島の人たちがそれを望んでいるんだろうか」と言う疑問が一致した。10年、いや数年後にはこの島は、住人が亡くなるか要介護となり島を出るかで廃村ならぬ廃島になるかもしれない。
ちょうど明日が春の神事の日とのことで、夜は神社での前夜祭の末席に座らせて頂き、終了後の宴会で「カメノテ」の塩茹でを食べさせて頂いたが実に旨かった。
民宿しまの灯り 泊
本日回った札所:1
今回の総参拝札所:40
本日の走行距離:100.3km
今回の総走行距離:920.8km
(40)観自在寺
いよいよ3県目、愛媛に入った。徳島の1番から最も遠い札所らしい。数的にも半分に近く、半分を終えた感がしてきた。境内には水掛けの仏さまがズラリ。
(観光)高茂岬
愛南町に、本土から大きく突き出した半島があり、県道で周回できるので走ってみた。県300は細いクネクネ道、途中から全く人家はなく、道を作った理由が分からない。突端の高茂岬からは真っ青な海の向こう、うっすら九州が見えていた。道は県34となり戻ってゆく。こちらは、かなりマシな道路だった。
(観光)紫電改展示館
過去にも来たが県34の途中にあるので再訪。じっくり見入っている若い二人組の女性客がいた。歴女かな?人々の記憶からこの飛行機が、そして戦った時代があったことが消えませんように。
(離島―2)鵜来島(うぐるしま・写真)
宿毛市の沖に2つ、有人離島がある。これらを回る船が1日2便しかなく、両方を訪問するにはどちらかの島に泊まらなければならない。考えた末、午後の船で鵜来島→泊→翌朝の船で沖の島→翌夕の船で宿毛市戻り、とプランを立てた。鵜来島は人口20名ほどの小さな島、宿はあるが釣船乗船とセットでないと泊まれない所ばかり、ほぼ唯一の宿に何とか連絡がつき泊まれることになった。
島は港の周辺、斜面にへばりつくように建つ家々があるが半数以上は空き家。その奥に今は利用されていない土地が広がる。第二次大戦時は日本兵も数百人常駐したほどの要衝だった由、そして放棄され草木の生い茂った段々畑が痛ましい。宿主の田中さん(島出身者)と島の活性化、釣り客以外の観光客誘致について色々とお話ししたが、「そもそも島の人たちがそれを望んでいるんだろうか」と言う疑問が一致した。10年、いや数年後にはこの島は、住人が亡くなるか要介護となり島を出るかで廃村ならぬ廃島になるかもしれない。
ちょうど明日が春の神事の日とのことで、夜は神社での前夜祭の末席に座らせて頂き、終了後の宴会で「カメノテ」の塩茹でを食べさせて頂いたが実に旨かった。
民宿しまの灯り 泊
本日回った札所:1
今回の総参拝札所:40
本日の走行距離:100.3km
今回の総走行距離:920.8km