わが道草山の栗拾いはついに大団円となった。
おかげで毎食のように栗をいただく。
縄文人も栗はきっと大トロ以上にご馳走だったに違いない。
わが家では収穫したイガを焚き火で焼く作業はついに風物詩になった。
古い竹の支柱や枝葉などもあわせて燃やす。
これらの灰は畑の土くれとなり、また野菜たちを産み出していく。
邪魔なイガも立派な有用肥料になっていくのだ。
こうして、焚き火によって山も畑もきれいになっていく。
循環型の農的暮らしを実感できる時空に感謝する日々。
栗の次は「次郎柿」が待っていた。
例年だと9割はクリノヘタムシにやられてなかなか口に入らなかった。
今年は虫も憐れに思ったのか、二人分くらいは充分残してくれた。
採り過ぎはやっぱりいけません。
人間も鳥や虫の分くらいは分け合う気持ちが大切。
日本も某巨大帝国のような「自己チュー」を止揚するような謙虚な哲学を実践しなければね。
おかげで毎食のように栗をいただく。
縄文人も栗はきっと大トロ以上にご馳走だったに違いない。
わが家では収穫したイガを焚き火で焼く作業はついに風物詩になった。
古い竹の支柱や枝葉などもあわせて燃やす。
これらの灰は畑の土くれとなり、また野菜たちを産み出していく。
邪魔なイガも立派な有用肥料になっていくのだ。
こうして、焚き火によって山も畑もきれいになっていく。
循環型の農的暮らしを実感できる時空に感謝する日々。
栗の次は「次郎柿」が待っていた。
例年だと9割はクリノヘタムシにやられてなかなか口に入らなかった。
今年は虫も憐れに思ったのか、二人分くらいは充分残してくれた。
採り過ぎはやっぱりいけません。
人間も鳥や虫の分くらいは分け合う気持ちが大切。
日本も某巨大帝国のような「自己チュー」を止揚するような謙虚な哲学を実践しなければね。