山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

わが家は縄文経済

2013-10-22 21:33:29 | 食彩・山菜・きのこ
 栗拾いが一段落して、今度はギンナン拾いが始まる。
 比較的若いイチョウの木が近所にある。
 道路は潰されたギンナンが散乱してしまう。
 清掃を兼ねてギンナン拾いをする。

                        
 すると、バケツ一杯になってしまう。
 近所の人はあまり関心がないようだ。
 わが家の収入は年金だけしかないので、ギンナンは貴重な食材となる。

              
 バケツの中に水を入れてビニール手袋をはめてでギンナンの外皮を潰しながらはぎとる。
 外皮は畑に埋めて、種は水でキレイに汚れを取ってあとは干すだけ。
 わが家の縄文経済はこうしたシンプルな作業でなりたっている。
 日本の経済成長にまったく関係ない自立経済?だ。

       
 イチョウの木の隣の道路は昔の幹線道路だった。
 軽トラックがやっと通れる幅しかない。
 日本のかつての生活とは、こうした山村の道が地域をつなぐネットワークとなっていた。
 それが「平地」に人が集中していくと権力とか富とか差別とかが始まる。
 そうしてかつての山村の豊かさがじょじょに駆逐されていく。

 白亜紀に隆盛したイチョウはそんな人類の「進歩」なるものをどのように見てきたのかなー。
コメント
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