山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

立派な石碑が寂しそうだ

2015-11-02 20:52:26 | アート・文化
 先日掛川方面に出かけたとき、どういうわけか道に迷ってしまった。
 林道みたいな狭い道をぐるぐるしていると、突然広大な墓地にぶつかる。
 その入り口に「鎮魂の碑」のモニュメントが立っていた。

      
 石碑の頭には火の鳥か鳳凰のような顔が見事に鎮座していた。
 鎮魂の碑というと多くは戦争の犠牲者のための忠魂碑が多い。
 しかしこの碑は、大日本報徳社社長でもあった榛村(シンムラ)純一元掛川市長の文らしきものが刻まれていた。
 さすが、7期28年も首長を担うだけあって中身が独創的で優れている。

                         
 「この掛川の地は、太古より人が住みつき栄え、多くの埋蔵文化財を残した。
 近代文明は、これらの一部を無造作に破損し、或いは変形した。
 ここに、先人の霊魂を鎮めるとともに、その加護により新しい定住の地、掛川づくりの曙となることを祈念して、
 この碑を建つ。  昭和54年3月 」

     
 碑文の内容は、開発してしまった言い訳ととらえることもできるが、前方後円墳に立つこの鎮魂の精神を刻むところが大物政治家らしい。
 さらに彼は全国に先駆けて「生涯学習都市」も宣言するなどの先見力がある。
 それは「参加と協働の概念を内包したまちづくり」を推進しようとする高邁な戦略だ。
 二宮尊徳を指導者の模範とするだけあって、俗物現実主義者ではないようだ。

とはいえ、この石碑の価値はどうも無視されている気がしてならない。
 この地はあとで調べたら、掛川インターに近い「富士見台霊園・森林果樹公園」だった。
 こんどはゆっくりとこの地を探訪してみたい。
 
 
コメント
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