山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

白菜漬けのこれが食いたかった

2020-12-21 21:13:12 | 食彩・山菜・きのこ

 和宮様がリハビリで夕方近所をウォーキングしている。すると、近所の人と出会う機会が多くなり、会話もはずみいつのまにか野菜をいただいてきている。家庭菜園をやっている家ではわが家と同じようにどこでも食べきれない野菜も一部ありその処理に困っているのがわかった。今の時期は大根・小松菜・白菜があふれている。

 わが家ではイノシシ被害で植え付けが大幅に遅れて収穫は来年になってしまいそうだ。その意味で、旬の野菜をいただけるのはありがたい。最近、そうした野菜をお互いに循環する関係が出てきたのがうれしい。今まではあまりそういう関係が少なくて農家によっては捨ててしまうところさえあった。

                  

 和宮様はさっそくいただいてきた白菜を一週間ほど前漬け込む。きょうは今までで一番寒い日だったようで、夕飯には温かいラーメンでもしようかと準備しようとしたときだった。白菜づけを試食した瞬間、これは温かいご飯にしたいとわがままを貫徹する。というわけで、急遽ラーメンからご飯に変えて食べることとなる。食感はシャキシャキしてこれぞ白菜漬けの旨みと喜び合う。塩・昆布・トウガラシ・柿の皮とのコラボも良し。

             

 白いご飯にピッタリの白菜漬けだが、わが家は玄米が主食なので白菜の葉で玄米を包んで食べる。これさえあればおかずはいらないと一気喰いをする。この白菜も2軒の家からそれぞれいただいたもの。上手にできている。ありがたくいただいた。近隣には和宮様お手製の赤大根の甘酢漬けを配る。よそ者のおいらとしては近隣との距離がずいぶん縮まったのを実感する。小さな希望が湧いてくる。   

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ダルマストーブ突如稼働へ

2020-12-20 19:35:50 | できごと・事件

 しばらく使っていなかった「ダルマストーブ」を突然使ってみることにした。倉庫を覗いてみたら先日枯木の薪を作ってくれた残りがあったので、それを40cmくらいにカットして薪づくりから始める。

     

 薪の山が二つほどできたが、この細さだと一日ももたないので、いろいろ燃えそうなものを探してみる。山へあがればいくらでも確保できるがその時間がない。製材所でもらっておいた木っ端が役に立った。さっそく、ダッチオーブンにシルクスィートのサツマイモを入れて、ストーブの上に乗せる。

           

 お昼になったのでダッチオーブンを下げておでんの鍋を乗せる。和宮様も居間の炬燵をやめて玄関にあるストーブにあたりながらランチタイムとする。ほんとうは外の焚き火をしたいところだが、風が強くこのところ雨も降っていないので実行は難しい。おでんで腹ごしらえしたら「コーヒータイムよ来い!」というわけで、ストーブの火をもらって七輪でお湯を沸かす。

           

 外の陽が明るい間に、薪をときどきくべながら文庫本のエッセイを読んでみる。一編がそれぞれ短いので煎餅やコーヒーもあわせて楽しむこととなった。しかし、ストーブの熱で眼が乾いてしまうので長くは読めない。

 それから夕方近く、七輪で鰯を焼くことにする。また、ねっとりした焼き芋もできあがり、夕飯は、焼き芋が主食、副食が鰯とおでんということになった。昼も夜もダルマストーブの恩恵に浴する一日となった。            

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人懐っこい「ジョウビタキ」

2020-12-19 21:27:00 | 生き物

 「クコ」の周りの草取りをしていたとき、「ジョウビタキ」が遊びに来た。農作業をしているといつのまにか近づいてくることが多い。「ジョウ」とは、「尉」と書き、銀髪の意味がある。確かにジョウビタキの頭はやや銀髪に見える。「ヒタキ」とは、「鶲」と書く。鳴き声が「ヒッヒッ」そして「カッカッ」と啼く。それが火打石を打つ音に似ているところから命名されているようだ。後ろ姿を見ると、紋付きの白い紋があるのが特徴で、「紋付鳥」とも呼ばれている。こちらのほうがわかりやすい。

         

  そのうちに1m近くまで寄ってきた。カメラを向けても逃げない。ふつうはカメラを向けると同時に逃げるのが動物的本能なのだが。それほどに人懐っこいものの、縄張りには敏感で仲間でも排斥してしまう。群れを作らず一人でいることが多い。画像は、眼の周りが黒く、頭が白っぽいオスである。メスは頭をはじめ全体が淡い褐色で、どうしても鮮やかなオスに注目してしまう。

 和宮様はえらくこのジョウビタキが気に入っていて、10月頃から「ほら、ジョウビタキが鳴いているのがわからぬか」とまっさきに気がつく。柿が色づくとその枝に止まって鳴いているのがガラス越し数メートルから見えるのを楽しんでいる。渡り鳥なので今しか見られない出会いなのだ。

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白金長者が開拓した足跡 (2) 

2020-12-18 20:06:38 | 歴史・文化財

  日本画壇に彗星のように現れた夭折の速水御舟(ハヤミギョシュウ)は、吉田幸三郎の友人でもあった。御舟が交通事故で左足首を切断するも画業の情熱は変らず、その後彼は幸三郎の妹・弥(イヨ、弥一郎の四女)と結婚し、吉田邸に新居を構える。そこで個展も主宰する。

 焚き火に群がる蛾を描いた御舟の「炎舞」(山種美術館)は生と死との相克を迫ってやまない。大正14年(1925年)、家族と共に軽井沢に滞在して毎晩のように焚き火をしてそのスケッチをしたという。そういえば、わが常設焚き火場にも火に向かって飛んでくる蛾に驚愕したことがあった。

          (愛知県美術館から)

 御舟はそこで、目黒から西東京を望む郊外風景を描き、「林叢」のなかの洋館を抽出した作品も描いていた。それが当時としては珍しい洋館のある白金村なのだろうか。幸三郎は、御舟の鑑定や著作権管理者にもなっているばかりではなく、浄瑠璃の義太夫節以前に流布した三味線の「一中節」(都大夫一中が創作集大成)の保存や能の囃子方の後継者育成、さらには「大和絵」保存等日本の伝統芸術全般にわたって活躍・貢献している。

         

 境界ウォークの当日、地元在住の星野光昭さん(画像右端)をゲストにお呼びした。星野さんの話によれば、吉田邸内には能舞台もあり、そこは子どもらの絶好の遊び場になっていて、森蘭丸の真似をしたりて遊んだこともあったと回想してくれた。ダンディーな星野さんは高貴さと柔和さで往時の長者丸のさわやかさを体現してくれたのだった。

 長者丸に日本の文化を守り発展させた骨太の実業家と文化人がいたことをあらめて発掘した思いだ。それにしても今日の実業家は目先の利益ばかりを追い求めるていたらくは日本をますます劣化させている。そんなとき、長者丸の緑を奪い剥げ山にし高速道路外壁わきに記念碑を追い込んだ闇は、吉田親子の顕彰碑の前に立ってそこから日本と自分のあるべき方向を思念すべきではないか、と怒りが収まらない。

 

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白金長者が開拓した足跡 (1) 

2020-12-17 19:53:34 | 歴史・文化財

 オイラが40代のころだったと思うが、都会で「境界ウォーク」というのをやったことがあった。そのとき印象的だったのが、都内の品川・目黒区の境界にあった「長者丸」という地区だった。高級住宅街の高台の一角に石碑を発見。武蔵野の一角だった荒野を先導的に拓いた吉田弥一郎(大正13年没)を崇敬し讃えたものだった。

  今では家賃が85万円という高級マンションや瀟洒な邸宅が並び、銀を保有していたという白金長者の名残が周辺に続く。大名城跡の「自然教育園」、旧朝香宮邸の「庭園美術館」、美智子上皇后の出身地の池田山、港区の白金地区へと。しかし、吉田親子碑のことは全くというほど知られていない。もちろんガイドブックにも出ていない。ネットではマンションの宣伝ばかりが目立つ。

              

 今では高速道路に追いやられたようにその片隅に「吉田翁碑」がひっそりたたずんでいた。昭和3年に建立されたその顕彰碑は、弥一郎の温容で高潔な人柄で地域の「自治の美風」を広めたとされる。広大な地主でもあった弥一郎は呉服商だった。その石碑の隣には、円筒型の銅製の碑があった。それは三男の幸三郎(1887-1980)の顕彰碑だった。

             

 そこには、幸三郎は、日本の演劇・美術・伝統音楽の保存・発展に大きな貢献をしたことが刻まれていた。早稲田大学に入学した幸三郎は、坪内逍遥のすすめで坪内邸に設立した「文藝協会演劇研究所」に入り、近代劇の生成発展のために尽力。同窓生に、黙阿弥の家を継ぐ河竹繁俊、日本初の新劇女優・松井須磨子がいた。(つづく)    

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やむおえずミズキを伐採

2020-12-16 21:20:23 | できごと・事件

 雑草園なのか花壇なのかわからなくなっている狭い花壇にある「ミズキ」(ミズキ科)を伐採することになった。というのも、生命力旺盛なミズキがどんどん大きくなってまわりが暗くなってきたためだ。今まで何回も伐採してきたが根っこが太くなって他の植物にも影響を与えてきた。伐られた樹の形は「人」という字だ。 紫紅色の若い枝は見事でときどき活け花に使ったことも少なくないのでとても残念だ。日本海側の大雪がニュースになっているがこちらはきょうも風花が舞っているなかでの作業だった。遠くに見える山並みは降雪しているようで稜線がはっきり見えない。

   

 伐った断面を触ってみると水がたっぷり吸い上げられている。やはり、「水木」と言われるほどの生命体だ。初夏に咲く白い花・実は「テーブルツリー」と言われるほど水平状となる。野鳥はそこに座りながら楽々と蜜や実を食べられる。熊も木登りして好物の実を食べるので、枝を折りながらの「熊棚」が作られる。それは同時に、陽が葉に平等に当たるようにというミズキの高度な配慮でもある。

 ミズキのこうした生き残り戦略はなかなか優れている。花壇のミズキも植えた覚えがなかったのできっと野鳥との共同作戦によるものと考えられる。伐採してもしばらくは若い枝をのばしていくのは間違いない。隣の広い茶畑跡になんとか復活させたいと思っている。        

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庶民を主役にした「新吉原雀」

2020-12-15 23:10:11 | アート・文化

 歌舞伎座のカレンダーに三代目豊国の浮世絵があった。歌舞伎にしては地味で庶民的な衣装だ。というのも、「下駄屋のお政」(三代目岩井粂三郎)と「地まわりの吉」(八代目市川団十郎)が主役でもあるだからだ。この「新吉原雀」は、1852年(嘉永5年)9月、江戸木挽町の河原崎座で上演されたもの。「吉原雀」とは、吉原へくるひやかし客と廓との賑やかな様子を現わしている。それは、雀というよりわが畑の隣のススキヶ原へやってくる「ヨシキリ」の鳴き声のように騒がしいということらしい。

           

 「吉原雀」はそもそも、鳥を売る夫婦が吉原の男女の様子・客と茶屋との駆け引き等、吉原の世界を踊りと歌で表現したもの。そこに「放生会」(ホウジョウエ)という仏教イベントを絡ませている。つまり、生き物(かごの鳥)を買うことによって鳥を助けそのいのちを解放するという行為をいう。それは遊女と篭の鳥とを暗示させているようでもある。「放生会」は秋の行事だが、画面には上にモミジをあしらっている。

                

 そういうような「吉原雀」に対し、「新吉原雀」のストーリーはどういうものかは残念ながらわからない。「地まわりの吉」の職業?である「地まわり」とは、江戸とその近郊を結ぶ物流関係を表すが、もう一つの意味は、その縄張り・利権を確保するならず者、プーさんを示している。

 江戸の経済を支えた主たるものは、そういう近郊からの「地まわり物」と関西の上方からの「下り物」とから成立している。

            

 「新吉原雀」の眼目は、踊りと作詞・楽曲にあるらしい。それはかなり高度なテクニックが必要とされ、若手の登竜門でもあるらしい。すなわち、日本版オペラが独自に形成されていたということでもある。そうした重層的な背景がある浮世絵だった。「吉」と「お政」が夫婦だったかどうか、鳥を売っていたのかどうか、知りたいところだった。

          

 

 

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忙しさとひきかえに

2020-12-14 21:13:47 | 農作業・野菜

 強風が吹きすさむ畑にあるススキだけは元気だ。手つかずだったススキを刈り取り畝に運ぶ。それを畝と畝の間に敷き詰めていく。雑草防止と防寒を期待している。ほんとうはススキを束ねて紐でくくるべきなのだが手抜きでばらばらと敷いている。

           

 藁であれば葉物野菜のマルチになるが、ススキはやりにくい。それでもススキが大量にあるのでマルチもどきもやっていく。和宮様はススキの穂を丁寧に取り去っているが、なかなかそこまで時間をかけられない。そんなとき、詩人の茨木のり子さんの詩(抜粋)が飛び込んできた。

            

 「 人間だけが 息つくひまなく 動きまわり

   忙しさとひきかえに

   大切なものを

   ぽとぽとと 落としてゆきます 」

        ( 『茨木のり子詩集・言の葉/12月のうた』抜粋、筑摩書房 )

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境界の庭木の草取りと追肥

2020-12-13 21:14:47 | 屋外作業

 隣の耕作放棄地はすっかりススキヶ原になっている。そのススキがどんどん侵入してくる。それに対し、境界付近に挿し木で育てたアジサイやカエデなどを植えてきたがうまく育たない。そのため、まずはその木の周りにはびこるススキやツル植物の駆除を始める。

  

 これがなかなか手ごわい。駆除の武器であるツルハシが強力な頼みだ。ススキをはじめコバノボタンヅル・ゴヨウアケビ・クズなどのツル植物が曲者なのだ。毎日のように草取りや整枝をやってきて2週間はかかっているが、やっと目途が出てきた。

             

 あす追肥を終えれば終了となる。草取りから出る雑草や枝類はまたまた焚き火場に山と積まれた。また、畑のいたるところではツル植物ではないが「カラムシ(イラクサ科)」も勢力拡大中だ。その根っこが20cm以上もあって引っ張り出すのに力がいる。ツルハシで土壌を柔らかくしないととても取れない。

             

 昨年も同じことをやったが現状はあまりに成長が遅いので今回はちょぴり気合いを入れてやってみる。少なくとも、1m以上は伸びてほしいものだ。追肥もたっぷりあげた。境界は石がザクザクのガレ場でもあった。大昔は川の岸辺だったようで大小の石が半端ではない。でも、りきまず目の前のことを粛々とやってきたので苦痛ではなかった。おかげで畑の周りはずいぶんと綺麗になってきた。荒れた農地から花木に囲まれた農地へとちょっぴり脱皮しそうだ。

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音叉

2020-12-12 21:29:55 | ポエム

音叉

劇団「たまっこ座」に寄せて

 

きみのまっすぐな瞳は 丹後の黒豆の輝きで

きみのあごひげは 明治天皇の「御真影」もどきで

きみのからだは 軽快なコロポックル人で

きみのまっすぐな瞳は 人生のかなたを捕捉している 

 

この小さな魂は                

私の混沌を 掻きむしりし、

この漆黒の瞳は  

私の絶望を 粉砕する

 

きみのいたずらな瞳は 物語を語り始め、

きみのあごひげは 

おやじのほおずりを想起させ、

私の心を 痛く洗うばかり

 

突如 きみのからだは 小鹿のようにはじけ その先の世界を森へといざなう

そんなきみが投げた 太鼓や鉦の音は

今も私の心で 音叉している

 

  

  この詩は17年前の2003年3月、劇団たまっ子座の公演を観た後にとっさにメモしたポエムだ。今となっては、どんな公演だったかはすっかり忘れている。しかし、舞台のきりりと演じる青年の所作・表情・太鼓が忘れられない。ちょうどぶつかっていた壁に心が折れそうになっていた時期でもあったからかもしれない。1985年に創立した「たまっ子座」は、「人間と自然」とをテーマにしておりいまだ旺盛な公演活動を続けているようだ。その精神は今もオイラを支えてくれる一助になっていることは確かだ。

 

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