山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

ハクビシンがいる証拠

2020-12-11 21:39:05 | できごと・事件

 先日、近くの狭い国道で「ハクビシン」の死体が転がっていたのを発見。しっかり見るのは初めてだった。わが家の方では「アナグマ」の縄張りのようでハクビシンの兆候は確認できていなかった。しかし、隣の地区でハクビシンがいるということはいつでもわが家の方へ侵入していてもおかしくはない。

                

 ハクビシンはジャコウネコ科なのでよく見るとかわいい。しかし、甘い果樹には目がない。今年亡くなったセニョールさんはブルーベリー・プラム・桃などが食害にあって困っていた。そこで、わな猟の免許を取ってなんどかハクビシンを捕獲していたのを想い出す。ハクビシンの漢名は「白鼻芯」と表現するが見事な命名だ。

                

 今住んでいる民家にやってきたとき床下からハクビシンのミイラがあって引き揚げたことがあった(火葬にしたよ)。そのため、床下に動物が入らないよう修繕したのが初期の仕事だった。板はわが民家の床板をそのまま活用したが、昔の床材は厚いのでけっこう重くなってしまった(画像は2008.7.5.)。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

土地探しの写真家がやってきた

2020-12-10 18:20:49 | 出会い・近隣

 昨日、セカンドハウスを地方で確保したいというプロの写真家がわが家に寄ってくれた。「それはぜひ近くで実現を」といつものように焚き火で出迎える。ちょうど、雑草や樹の枝がこんもり溜まっていたので渡りに舟だった。しかも、どういうわけか風がぴたりと止まっていたのも幸いした。できるだけ火の粉が舞い上がらないよう細心の注意をする。

            

 また、偶然に「シルクスィーツ」と安納芋のサツマイモを確保して間もなかったときだったので、焼き芋がメインの焚き火となった。火を熾す前から大小のダッチオーブン2台に芋やカボチャをセットする。点火してからはまずは炭焼きコーヒーを急ぐ。いつもは使わない退職記念でいただいた七輪を使用する。もちろん、炭は焚き火から出たものを使用。そして火の周りを囲んでホットコーヒーを味わう。

         

 武道を得意とする撮影助手がてきぱきと枯れた雑草や竹支柱を燃やしてくれた。こちらから言わなくても動いてくれるのはアウトドアの鉄則であるのでとても助かる。しかも写真家Kさんは山や川でのアウトドアが趣味だという。また、オイラが注目している写真家・長倉洋海さんのように海外の紛争地帯にもいったこともあり、野外生活には慣れているのも心強い。

         

 そのうちに、ダッチオーブンの焼き芋もほどよくできあがり、しっとりとした焼き芋を堪能することができた。じつに甘い。さすがシルクスウィートだ。そのうえさらに、近所からいただいたおでん大根があったので、鍋でおでんを食べることにする。食べるのが忙しく画像を撮るのをすっかり忘れる。和宮様の出汁よろしく一同いっせいに鍋に集まる。火力が強かったせいか大根があっという間に軟らかくなる。冬ならではの焚き火デイとなった。    

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

対話力の自在な「西部劇場」

2020-12-09 18:28:24 | 読書

 ダビンチさんからの課題図書第2弾は『西部邁発言①/文学対論』(論創社、2018.5.)だった。

 第1章では、芥川賞作家・古井由吉氏との対談だった。古井氏も西部邁(ニシベススム)氏も言葉の語源に造詣が深い世界を共有していた。西部氏は、日本人はものすごく実直でありとあらゆるものをみんな摂取してしまう「総合化能力」が優れていると評価する。それに対し、古井氏は、それはむかしから「翻訳能力」を発揮してきた伝統があった、と追認するところが面白い。

     

 古井氏は、戦中に開発された殲滅技術・方法は、その後の経済成長の元になり、同時にそれは無差別空襲と経済成長の市場主義は平たくならしていくことでは一致する、と指摘する。すると、西部氏も、「戦争と戦後の物質的繁栄は表裏一体」と続ける。そして、現在とは過去と未来の中間点にあるがこれからの予想も遡及も行き詰まってしまうところに「文学」の役割が出てくる、とさりげなく語る。

            

 第2章から、文藝評論家の秋山駿氏と小説家の加賀乙彦氏と西部氏との対論となる。自由奔放な発言の秋山氏に対して西部氏は沈黙が多くなる。近代日本文学の特徴である私小説についてその革新性を擁護する秋山氏の主張も新しい。西部氏は、「アメリカのイデオロギー的上澄み液を戦後、敗戦日本人が飲み過ぎたせいで、…人と人とのつながりを逐一壊して」きたことへの痛憤が漂う。医師でもある加賀氏はそうした現状を「今の日本人の気持ちは敗戦のときと非常に似ています」と冷徹に指弾する。

   

 第3章は芥川賞作家辻原登氏が鋭角的な角度から西部氏と対峙する。辻原氏は、近代の小説は本という容器に声の物語が盛られることで成立し、それを黙読という行為から声が内面化し、人間は内面を獲得する、その内面が近代の個人主義を作っていく、という分析が鋭い。したがって、本を読まなくなるというのは内面の声を失うということになり、人間の劣化の危うさを現在に問う。

              

 辻原氏との最後の対談は2017年7月に行われている。西部氏が自殺したのが2018年1月だから、自死の半年前の対談ということになる。今思えば話の節々にその兆候が散見される。本書は「追悼西部邁」ということで、4か月後に急遽出版されたものだ。西部氏の弟子でもあり文藝評論家の富岡幸一郎氏の司会の明快さが対話を補う。

 西部氏の評論ではその表現の繊細さ、感性の鋭さ、知識の深さに感銘するが、それをしのぐほどの論客が言論界にいなかったのも不幸でもあったように思えた。また、人とのつながりを大切にしてきたものの、氏の遍歴からくる過度なニヒリズムが自らを追い詰めてしまったのを感じる。いずれにせよ、相手の発語を受けながらそれを自在に発展深めていく西部氏の対話力の重層さが輻射する。              

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野菜の豊饒をいただく

2020-12-08 22:48:59 | 出会い・近隣

 近所から畑で採れた野菜をたっぷりいただく。大根は聖護院・紅芯・おでん大根の三種類だった。紅芯大根や青首大根はわが家でも育てているがまだまだ小さいので、タイミングはぴったり。大根の葉はさっそくコウナゴと炒めてあっという間に食卓に配置された。。

          

 昨年いただいた生姜を植えてなんとか収穫はしたけれど、いのししに荒らされ生育も悪く収量は半分もいかなかった。今年はそれを埋めるべく生姜を再びいただいたことになる。和宮様はそれをスライスして天日干しに余念がない。それを粉末にして生姜パウダーを作ろうというわけだ。

           

 さらには、サトイモの茎を干した手作りの芋がら・ズイキもいただく。見るからに植物繊維豊富な芋がらは整腸作用が期待できる。以上の野菜セットは手では持ちきれないので車で取りに行く。いつも畑に張り付くようにしてひとり作業しているおばさんの姿が見ているのでいっそうありがたい。畑が生きる糧であるような執念と覚悟といった「柔らかな」気迫をいつもおばさんから感じられる。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わけありミカン100円だって !

2020-12-07 21:00:08 | 特産品・モノ

 ときどき買いに行くみかん園が楽しみになってきた。というのは、どこでも一山500円(それでもスパーよりは安い)が相場のミカンだが、そこの店はわけありミカンが一山100円というのが片隅にあるのだ。店はときどきシャッターが半開きになっていることもあり、やっているのかどうか怪しいときもあるが、店の前まで行くとミカンの山がたっぷり並んでいる。そのわけありミカンをさっそく食べてみると、多少味は落ちるけど、じゅうぶんミカンを堪能できる。

      

 小さいミカンほど甘みもある。それでついついおかわりしてしまって、気がついたときは残りがわずかになっていることに気がつく。皮が硬いのや柔らかいのや傷ありもあるがじゅうぶん許容できる。生産地ならではの価格だ。かつて大都会の消費地に住んでいたオイラにとっては、また年金しか収入のない後期高齢者にとっては破格の価格となる。

 したがって、100円ミカンがまたありますようにと、売り切れになりませんようにと、きょうも買いに出かける。ミカン園の卓抜な魔術によってミカン色の魔界に入り込んでしまったかー。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

見慣れぬロゴはレトロな改造車

2020-12-06 21:10:08 | 自動車・エンブレム

 月に数回は大型スーパー店に買い出しに出かける。そんな駐車場で見かけないロゴのある軽自動車を発見。日本の軽自動車らしいが、フロントエンブレムは「MODEST」となっていた。外国製でもないようだし、タイヤにはサビも見えるし中古車には違いない。調べてみたら、その「MODEST」の本来の意味は「謙虚」だった。それが会社名だった。

   

 どうやら、1990年前後に販売されたニッサンの「パオ」とスズキの「アルト」をふまえた改造車らしい。こうした車を「パイクカー」と言う。「パイク」とは槍のような尖った武器で、要するに、常識・流行にとらわれない尖ったレトロ車と言うコンセプトのようだ。どのように改造したかは門外漢のオイラにはわからないが、軽自動車の多い駐車場には遜色ない存在だった。エンブレムに気がつかなければ見過ごしていたのは間違いない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山からサンタが降臨した?

2020-12-05 23:15:58 | 特産品・モノ

 先日に焚き火研究会をしたとき、ボランティア仲間の山猿さんの忘れ物の赤いタオルがあった。はじめは誰のかわからなかったが問い合わせたら山猿さんのものとわかった。少々遅かったが、山猿さんの工房に届ける。

              

 そうして、自宅に戻ったら山猿さんが追っかけてきたようで、しかも急峻で有名な山道に迷ってしまいながら、冷や汗をかきかきわが家にやってきたのだった。それでなんと、手作りのサイコロと金色の松ぽっくりをあざわざ届けてくれた。心のこもったプレゼントについこちらの心も暖かくなった。この二つの取り合わせはかわいいツリーになるのではないかとプレクリスマスを楽しむ。これがほんとうのクリスマスではないかと世の中の騒がしいクリスマスを嗤う。山猿さんありがとう。サイコロの柔らかい感触は山猿さんの躍動的な心音となって聞こえてきたよ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤大根「紅くるり」も初収穫

2020-12-04 21:51:34 | 野菜・果樹

 種まきが遅かった白大根はまだまだ小さいが、早めに?蒔いた赤大根「紅くるり」が見事に実ってくれた。「紅くるり」は、創業1883年(明治16年)の「松永種苗」が遺伝子操作なしで開発した優れもの。従来の赤大根は周りの皮は赤いものの芯まで全面的には赤くはならなかった。それをついにやり遂げたものだ。

   

 「紅くるり」は、大きさは蕪のように小振りだが、肉質は軟らかくみずみずしい。青皮の紅芯大根の肉質はやや硬めで水分が少ない傾向にある。紅くるりは、アントシアニンが従来の赤大根の3倍もあり、抗酸化力は10倍もあるという。

              

 すぐさま、それを和宮様が甘酢漬けにする。確かに紅と言われるだけあって濃い紅色となった。食べてみても確かに柔らかくしかもシャキシャキしてみずみずしい。

 きょう、アフガンで活躍してきた医師の中村哲さんが銃撃で殺されて一年がたつ。本来ならノーベル平和賞並みの活動をし、国民栄誉賞を与えてもいいくらいだが、日本政府はNPOとかNGOには偏見が強い。日本学術会議理事の任命拒否事件と同じものを感じる。そうした現実はいくらでもあり、中村さんもそういう壁を幾度も壊そうとしてきたが、要するに批判だけでは現実は動かないという教訓だった。そこで、聴診器からショベルカーに変えたのだ。中村さんの遺志はどれだけ日本社会に伝わったのだろうか。それを受けて「オイラなりにやれること」とはどんなことか、それにこだわって日々を生きていきたいものだ。赤大根の甘酢漬けをポリポリ食べながらふと考える。

 

 

 

あるけれど、

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コンクリートの吹き付けが始まった

2020-12-03 20:34:20 | できごと・事件

 昨年の大雨で崩落した崖の修復作業が一気に進んでいる。いよいよ崖の上部からコンクリートを吹き付けていく工法だ。人間が命綱で作業しているようだが肉眼では点としか見えない。

      

 カメラのズームでやっと作業員をとらえられた。下の方のロープはコンクリートが圧縮された高圧ホースのようだ。これを持つだけでも体力が消耗するに違いない。それ以上に、高所の恐怖感との緊張感があるのは言うまでもない。

     

 一人が現場監督か危機監視員かホースは持っていない。あとの二人は高圧ホースを持っているようだ。この作業は工事請負会社が特別に頼んで応援に来てもらっているという。とてもオイラにはできない高さと技術だ。雨が少ない今が施工のチャンスのようだ。崖下では生コン車が常備されてそこで生コンが供給されている。順調にそして無事に工事が進捗されるよう願うばかりだ。

( 定点観測 = 昨年の7/27と今年の1/24.8/25.9/2のマイblog参照 )

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

賊軍も官軍も同じ穴のムジナ ?

2020-12-02 18:56:35 | 読書

 ダビンチさんから提示された課題図書、半藤一利・保阪正康『賊軍の昭和史』(東洋経済新報社、2015.8.)を読む。明治以降から昭和までの歴史を「官軍と賊軍との暗闘」という視点で見ると、もう一つの歴史が見えてくるというわけだ。なるほど面白かった。

  

 半藤(ハンドウ)氏は、「日本の近代史とは、黒船来航で一挙にこの高揚された民族主義が顕在化し、国家が…松陰の教えを忠実に実現せんとアジアの諸国へ怒涛の進撃をし、それが仇となってかえって国を亡ぼしてしまった。…それが<官軍・賊軍史観>」に他ならないと仮説する。

 そしてそれは、平和ボケの日本の現状の中で、「なぜか<薩長史観>的な、日本を軍事的強国にし大国にするのが目的のような考え方が大きく息を吹き返してきているような気がしてならない」という。そういう氏の感性は戦前の焼け跡を目撃してしまった証人だからこその痛みからくるものに違いない。

      

 政権を奪取した薩長閥が国の中枢でいかに他を君臨し差別してきたのかを数字で証明していたのは説得力がある。薩長閥の日清・日露戦績の「功績」を、反薩長の出身者も昭和も払拭できなかったところに深い闇がある。つまり、「近代日本を作ったのは官軍、滅ぼしたのも官軍」だが、一方の賊軍も薩長閥解消を唱えながらも結果的に同じ陥穽に吸収されてしまう。

  

 敗戦受け入れを命がけで尽力した賊軍派の鈴木貫太郎総理を著者らは讃えている。戊辰戦争の悲惨な崩壊を経験した賊軍の経験値は、「悲惨な最後の姿を避ける知恵があった」のではないかと保阪氏は提起する。とはいえ、官軍的体質と賊軍的体質とは結果的には「同じ穴のムジナ」としか見えないのは、一方的な見方なのだろうか。

              

 異議申し立てができない日本的なシステムは戦前も戦後も変わらない。一時、「同調圧力」と言う言葉が話題になったが、いつのまにか消えてしまった。このへんに日本の深い震源があるとオイラは常々思う。つまりそれは職場でも地域でも組織でもこの壁を避けて通ることができない現実があるからだ。官軍的・賊軍的体質もここにあるように思えた。「真実」という言葉がいま虚ろに聞こえるのは、同調圧力に気を使う子ども・おとなのストレスの反映に他ならない。ここを丹念に解きほぐしていかないと同じ過ちをしてしまう。すでにそれは進行している気がしてならないのは杞憂だろうか。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする