追想(1956)
1956年/アメリカ
自己認識の危機について
総合 100点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
これほどの名作が正確に理解されている様子が全く見られないので、この作品の面白さを簡単に説明しておきたい。
ユル・ブリンナーが演じるボーニンが率いるロシア人グループは、イングリッド・バーグマンが演じる、セーヌ河に身を投げようとしたアンナ・コレフをロシア革命のとき独り逃れることができて生き残った大公女アナスタシアとして、ロシア皇帝ニコラス2世が生前、大公女のために英国銀行に預金していた遺産を騙し取ろうと、革命前にアナスタシアと婚約していたポール公も仲間に加えて画策していた。
クライマックスはヘレン・ヘイズが演じる、デンマークで余生を送ていたアナスタシアの祖母で大皇妃とアンナ・コレフとの対面である。大皇妃はアンナ・コレフがアナスタシアであると全く信じていなかった。他方記憶を失っていたアンナ・コレフはボーニンやポール公の意図とは裏腹に、遺産の獲得よりも自分のアイデンティティをはっきりさせたかったが、いくらアンナ・コレフが説明を試みても、大皇妃は彼女の説明を信じることはなく、面会が終わろうといたその時、咳き込むアンナに大皇妃が心配して体が悪いのかとアンナに訊ねる。アンナは緊張すると咳が出ると答えるのだが、それはアナスタシアが抱えていた症状と同じものだった。それを理由として大皇妃はアンナをアナスタシアだと認めたわけではない。その時大皇妃は気がついたのである。彼女は大公女という肩書きを持っていたからアナスタシアを愛していたわけではなく、アナスタシアを一人の魅力的な女性として愛していたことを。そして大皇妃は緊張すると咳き込んでしまう繊細な心を持っている目の前の女性をアナスタシアを愛するように愛することに何の問題があるというのか考え直したのであり、アンナに大公女の称号を与えて、確立しないアイデンティティに思い悩んでいる女性をアナスタシアにすることで救ったのである。
大皇妃の最後の言葉「芝居は終わった」という意味は、自分の正体が分からないでいたアンナ・コレフが試行錯誤しながら演じていた‘自分自身’がアナスタシアに決まり、芝居をする必要がなくなったことを指す。
話はこれだけでは終わらない。アンナ・コレフを演じていたイングリッド・バーグマン自身も当時、仕事も家庭も捨ててイタリアの映画監督であるロベルト・ロッセリーニの元へ走った後に彼との関係が破綻してしまったために、ハリウッド映画復帰第一作の『追想』のイングリッド・バーグマンはまさに主人公アンナ・コレフと同様にアイデンティティ・クライシスに陥っていたはずであり、その切迫さこそがバーグマンに迫真の演技をもたらし、彼女は大皇妃によってアンナが大公女の称号を与えられたように2度目のアカデミー主演女優賞を獲得したのである。
阿久根市長家族の経営会社、市発注工事を1円差で落札(朝日新聞) - goo ニュース
ずっと何かと話題が絶えない鹿児島県阿久根市の竹原信一市長は実はかなり
質の悪い市長ではないのだろうか? 市政改革を掲げて市職員の給与が高いこと
を指摘して「市民のために働く、市民に役立つ役所に変えます!」といかにも市民の
味方のように振る舞っているがマスコミに対しては“歪曲報道”と決め付けて一切の
質問に答えることはなく、“議会との駆け引き”と称して議会出席をボイコットしている
理由は今の時点ではリコールされることがないという計算の上でのことであり、
阿久根市の市民の視線を“巨悪”に向けさせておいて、その間に実は竹原市長
本人が市長と言う立場を利用して甘い汁を吸っているとするならば、阿久根市の
市民は踏んだり蹴ったりという前例のない悲惨な状況に陥っていることになる。