原題:『海よりもまだ深く』
監督:是枝裕和
脚本:是枝裕和
撮影:山崎裕
出演:阿部寛/樹木希林/真木よう子/吉澤太陽/小林聡美/リリー・フランキー/小澤征悦/池松壮亮
2016年/日本
「表層」と「深層」の対照性について
作品冒頭で母親の淑子と娘の千奈津が交わしている会話の内容はアメリカの女性フィギュアスケート選手のジャネット・リンが1972年の札幌オリンピックで転倒したにも関わらず、芸術点で満点を取ったというものである。その後、主人公の篠田良多が淑子が住むアパートを訪れ、半年前に亡くなった父親の遺品から金目のものを探している。良多は父親が持っていた雪舟の掛け軸を狙っていたのであるが、やがて馴染みの質屋からその雪舟の掛け軸は偽物であることを知らされる。しかしただの硯だと思っていたものが、30万円の価値があることが分かる。そんな良多は15年前に私小説の『無人の食卓』で「第8回島尾敏雄文学賞」を受賞していたが、その後小説家としてはなかなか売れず、取材という名目で探偵事務所に勤めている。しかしギャンブル好きが高じてせっかく稼いだ金を競輪やパチンコにつぎ込んでしまい、結局、養育費など金の工面に奔走している有様なのである。
別れた元妻の響子とは11歳の息子の真悟と共に月に1度会う約束をしている。その時に養育費を渡す決まりなのであるが、既に3カ月滞納している。響子には既に福住という新しい恋人がいるのであるが、良多は響子にまだ未練がある。
そんな時にやって来たのは24号の台風である。無理やり淑子が住むアパートに良多が連れて行った真悟を連れ戻すために響子もアパートを訪れ、その台風のためにやむなく淑子を含む4人はかつてのように一緒に一夜を共にし、翌朝、3人は淑子に見送られながら一緒に駅前まで歩き、そこで別れるのである。
一体この物語は何を伝えたいのか勘案するならば、「表層」と「深層」の対照性というテーマに行きつくだろう。ジャネット・リンの高得点、掛け軸と硯の価値の転倒、強そうに見える競輪選手の敗戦など、とかく私たちは「表層」に騙されてしまうのである。それならば「表層」そのものを「海よりもまだ深く」充実させようという試みが、実際には2014年には存在しないはずの台風24号による一時的な家族の再生だったのではなかったのか。
本作に関して面白い感想を見つけたのでまずは引用してみる。
「是枝監督は『思い通りにならない今を生きている主人公の後悔やら断念』というが、その主人公は『後悔』も『断念』もする資格のない、なんの魅力もないただのデクノボーであった。自省がなく、自分の不遇を周囲のせいにして、イライラするだけ。かれは真に後悔することができないのである。是枝監督が描きたかったのは、こんな人物ではなかったはずである。」(『古希のリアル』 勢古浩爾著 草思社文庫 2018.2.8. p.82)
勢古は以下のようにも書いている。
「『後悔』はどうしても、マイナスのイメージである。なぜマイナスなのか。現状が自分の思い通りになっていないからである。なぜ思い通りにならないのか。自分の意思が現実にはほとんど通用しないからである。どんなに考えても、未来は予見できない。」(同著 p.84-85)
主人公の篠田良多は彼なりにベストは尽くしていると思うから、彼の思い通りにならないことにイライラしていることを個人的には非難しようとは思わない。たいてい人は「表層」に騙されてしまい、「自分の意思が現実にはほとんど通用しないからである」。本作はその「見た目」と「思い」の乖離を解消する試みだったと思うのであるが、「デクノボー」が失敗していると言われれば返す言葉はない。