Peter Gabriel - Family Snapshot
ピーター・ガブリエルの「ファミリー・スナップショット」を和訳してみる。この曲は
1972年5月15日に民主党からアメリカ大統領選挙に立候補していたジョージ・ウォレスを
銃撃してウォレスを下半身不随にしたアーサー・ブレマーが出版した手記『An Assassin's Diary』を
元に書かれたものなのだが、ガブリエルは「スナップショット」という単語を「撮る」と「撃つ」の
ダブルミーニングとして用いており、家族の不和で寂しさを抱えた主人公がテレビを見ながら
おもちゃの銃で「統治者=父親」を「殺す」夢を描いているのである。
ピーター・ガブリエルはこの三作目のアルバムのA面において自身のプライベートを語り
苦悩を解決した後に、B面で個人的なことから視線を社会に向けた曲を並べて「ビーコ(Biko)」
という傑作で有終の美を飾るのである。
「Family Snapshot」 Peter Gabriel 日本語訳
どの通りもカメラマンたちに占有されている
彼が訪れる場所はどこもニュースになる
今日は特別な日なんだ
今日はいつもとは違う
今日僕は行動を起こす
光の中でスナップ写真を撮る(素早く撃つんだ)
光の中でスナップ写真を撮る(素早く撃つんだ)
僕は光の中で撮ろうとしている(撃とうとしている)
4マイル先から太陽の下で運転しながら
パレードがやって来る
もしも僕が上手くやれたなら
彼らは僕の姿も銃も目にすることはないだろう
2マイル辺りで
彼らは道路を整理している
歓声が沸き起こり始める
僕にはラジオがあるから
状況を把握することはできる
僕はこの時を待っていた
僕はこの時を待っていたんだ
テレビを視聴している人たちよ
僕はあなたたちの空っぽの閉ざした心を目覚めさせるつもりだ
僕があなたたちの記憶細胞の中で燃える時
瞬時に視聴率がピークに達する
だって僕は生きているのだから
先頭のバイク隊に率いられて
彼らがコーナーを曲がって来る
僕は目に入る汗を拭っている
これは時間の問題で意志の問題なんだ
その知事の車はすぐそばに来ている
彼は僕が思っていた人ではない
だって彼はリムジンに乗っている「時の人」なのだから
僕は本当に彼のことが嫌いではないし
彼が何をしようとどうでもいいんだ
僕たちは持ちつ持たれつだった
僕とあなたは
僕は一角の人物になりたいし
あなたもそうだった
もしもあなたが与えられることなく
奪うことを学ぶのならば
僕はあなたを奪うつもりなんだ
固唾をのみ
引き金を引こう
僕は銃弾を飛ばすにまかせる
静寂が訪れ
僕は以前ここにいた
正面玄関の背後に隠れていた孤独な少年
友だちはみんな家に帰ってしまった
フロアーには僕のおもちゃの銃が落ちている
両親が帰ってきた
あなたたちの考え方は合わなくなっている
僕の成長は悲しみを帯びているんだよ
僕には思いやりが必要なんだ
僕は光の中で撮ろうとしている(撃とうとしている)