フィクサー
2007年/アメリカ
シヴァ神としてのフィクサー
総合 80点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
この作品がいわゆる他の‘弁護士モノ’の映画のようにサスペンス感やスリリング感に欠けるように見えるとするのならば、それは‘フィクサー’として活躍する主人公マイケル・クレイトンの息子ヘンリーの愛読書である『王国と征服(Realm and Conquest)』の影が終始この作品を覆っているからであろう。
ヘンリーに限らず10歳くらいの男の子であるならば、自分の国を造って王様になるというような夢を持つであろう。しかし大人になり現実の‘王国’がどんなものなのか見渡してみると、例えばこの作品に描かれている農薬会社U・ノース社のように不正の上に築かれているものが少なくない。だからヘンリーを通して‘本来の夢’を思い出したマイケルの同僚であるアーサー・イーデンスは(被害者である‘子供’のアナを呼び出したりして)自分の担当であったU・ノース社の不正を暴くことにするのである。アーサーがいきなり服を脱ぎだすことについて彼が気が狂ったように扱われるが、‘子供’のように自分のありのままの姿を見せるという行為であると見做せば、U・ノース社の法務部本部長であるカレン・クラウダーが終始自分の身なりを気にする‘大人’であることと対照的に描かれていることが分かる。
このように‘大人’と‘子供’に挟まれた主人公のマイケル・クレイトンの性格も不思議である。あれほど弁護士として有能な‘大人’であるのに‘カードゲーム’が大好きな‘子供’でもある。つまりマイケルは事件のフィクサーであると同時に、‘大人’と‘子供’の溝のフィクサーでもあるという二重性が物語に深みを与えているのである。
しかし『王国と征服』という小説はこの作品のために創作されたものである。つまり内容がない。既存の小説を利用すればもっと計算外に深みが増し、例えば3頭の馬のシーンなどもっと意味深長になったように思われる。ちなみにシヴァ神とは破壊神であるとともに創造神でもあるヒンドゥー教の神。
クローバーフィールド/HAKAISHA
2008年/アメリカ
確信犯
総合 90点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
この作品を「ゴジラとブレア・ウィッチ・プロジェクトを合わせたようなもの」と評しているのを見かけた。主人公が仕事で日本に赴任するという設定は『ゴジラ』を思い出させるし、確かに映像の作り方は『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』と同じではあるが、制作費の桁が違う。
周知のとおり『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』は駄作という以前に映画ではなかったのであるが、『クローバーフィールド』が映画になっている要因はハンディカメラが私たちにとってより身近なものになり、手振れの映像を見慣れたことに加えてやはり「9・11」があったからであろう。アメリカで大ヒットしているのも彼らが心に抱えている‘9・11的映像’を刺激されたからだと思う。最後の方で‘怪獣’の姿が露になるのだが、それでもなお‘怪獣’の姿形がよく分からないところなどアメリカ人にとっての‘イスラム教’であろう。
粗の多い作品ではあるが、予め言い訳は周到に用意されている。カメラに不慣れなハッドによって撮影されているからカメラワークは悪くて当たり前であり、あのような状況の中でも撮影を続けるのも「9・11」を経験している上での記録を残さなければならないという使命感からであり、きちんと編集されていないのも生き残った人たち(?)が全てを確認しているからというように思わせる。
ラストで2人が悲惨な顔で遺言を残した後、ひと月前の映像に変わり同じ2人が「今日は良い一日だった」と笑顔で終わるシーンは、勿論、物語も明確な映像もないこの映画を不快な思いで観続けたカップルに対する皮肉である。そういうの、嫌いではない。
柴咲カンフー、世界に殴り込み!!香港プレミア大盛況(サンケイスポーツ) - goo ニュース
この作品『少林少女』に限らず『カンフーくん』や『カンフーパンダ』などカンフーネタ
がカブってしまっているのは、勿論北京オリンピック開催年だからということであろう。
『少林少女』の作品としての出来が良いのか悪いのかはともかくとして、それにしても
「北京=カンフー」という誰でも思いつくような方程式はあまりにも安易過ぎるのでは
ないのだろうか? その上主人公は「少女」「男の子」「パンダ」と観客に媚を売り
過ぎである。本当に深刻に映画界はネタに困っていると感じるのである。
「ヒトラーの政治と同じ」 鳩山法相、小沢氏批判(西日本新聞) - goo ニュース
小沢の政治手法に対して自民党の議員はやたらとヒトラーの名前で貶めたいよう
だが、今までその“ヒトラー的手法”で無理やり法案を通してガソリン税、後期高齢者
医療などグダグダな様相を呈していることに関して鳩山はどのような言い訳をする
のだろうか? その鳩山は法と正義に従って怒りに任せて既に10人殺している
わけであるが、“ヒトラー的政治手法”を批判している鳩山の方がヒトラーと同じ
身振りを演じてしまっているのが哀れである。鳩山の愚かさは、時代や地域で
法も正義も変化するという事実を全く気にすることなく盲目に信じ込んで無邪気に
権力を行使しているところにある。こんな男が東大を首席で卒業したのだから
なおさら悲しい話ではないか。
倖田來未、72日ぶり涙の復帰!6500人が「おかえり!」(サンケイスポーツ) - goo ニュース
ここで私は彼女の“羊水発言”に関しては擁護してきたが、このようなバッシングを
受けた伏線が燻っていたことを最近知ってしまった。“羊水発言”だけならフォロー
できるけれども以下のようなこと全てをフォローすることは無理であろう。
お笑いのレベルが低下した? 「一発芸人」が多いのはなぜ(ニュース畑) - goo ニュース
「お笑いのレベルが低下した?」という疑問に疑問があるのだが、ではお笑いの
レベルが高かった時代があるのだろうか? 何をもってして“レベルの高いお笑い”
と言えるのだろうか? 私はたぶん“レベルの高いお笑い”を聞いても難しそうで
笑えないような気がする。お笑いとは“レベルが低い”からこそ笑えるはずである。
「一発芸人」が多いのはただ単に芸人になる人が増えたからに過ぎないし、「一発
芸人」であることは悪いことではない。たぶん多くの芸人が「一発芸人」にさえなれ
ないほど生存競争は厳しいはずである。笑わせ方に関してならば以前よりも種類は
増えており、“技術”は高度化していることは間違いない。
ナゾの“青い集団” 聖火囲み並走、中国人警備隊(産経新聞) - goo ニュース
私は先日これだけ混乱するのならばいっそのこと聖火リレーも北京オリンピックの
新競技にすればいいと冗談で書いたのだが、一ヶ国しか出場していないがまさか
本当に鍛えられた“アスリート”たちによって聖火リレーが行なわれていたとは驚き
である。トーチを握るランナーから不満の声が上がるのは仕方がない。ランナーと
“アスリート”たちは同じ行為をしていてもその目的が異なるからだ。だからこの聖火
リレーを本当に“競技”にするのであるのならば、トーチを握るランナーも同国人に
すれば正式種目以上のアクロバティックな“競技”が見られるはずだ。
道頓堀「くいだおれ」、7月閉店 「定年迎えた」(朝日新聞) - goo ニュース
大阪名物という以上に大阪象徴的存在のようだった「くいだおれ」が閉店するという
ことは大阪の文化が少しずつ変化しているということなのだろう。「支店を出すな」
「家族で経営せよ」という“反拡大”の経営方針は関西の店としては珍しいと思う。
でも惜しまれながら店を閉じられるというのはある意味幸せではあろう。こうして
“くいだおれ太郎”は勇退することになったわけだけれども、ところでもう一方の話題
になっている太郎である“慎太郎”の方は勇気ある撤退は出来ないまま、昨夜も
NHKの番組に出演していてぐずぐず言っていたが、今ならまだ“くいだおれ太郎”
の爪の垢を煎じて飲ませてもらえるはずだが。
イノシシ暴れ5人軽傷=幼稚園に侵入、通行人と衝突-大阪(時事通信) - goo ニュース
時々学校に侵入して銃を乱射する人間がいるが、このイノシシの騒動を聞いて
その話を思い出したのは、このイノシシがその後逃走して川で溺死して“自殺”した
ということである。銃を乱射する人間もほとんどその直後自殺しているからだ。
以前銃乱射の犯人の1人をテレビ番組で取り上げていたが、その犯人の動機は
恨みのようなものではなく脳にできた腫瘍が脳の一部を刺激してそのような衝動が
生じたということだった。このイノシシの脳を司法解剖してみればいいと思うのだが、
人間の司法解剖さえほとんどなされていない日本においてイノシシの司法解剖は
ありえないのだろうね。
パリの聖火リレー大混乱、抗議・妨害で途中打ち切り(読売新聞) - goo ニュース
こんな状態をいつまでも放置しておいたら同様の小競り合いが聖火が北京に
たどり着くまで続くことになるのではないのだろうか? この状態を打開するために
いっそうのこと聖火リレーも北京オリンピックの競技の1つにすればいいのである。
国別に選抜されたリレー選手が聖火を持ち、“カーリング形式”で北京までのルート
を消されないように出来るだけ早く持って行けたチームから金メダル、銀メダル、
銅メダルとすれば抗議や妨害はリレー競技に含まれるわけだから混乱している
ことにはならないし、一石ニ鳥になると思うのだが、当然無理なのか?