寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

熊谷真菜 / 「粉もん」庶民の食文化(朝日新書)

2008年01月10日 | 書籍
たこ焼き研究家の熊谷さんが「粉もの」食文化の歴史と進化をわかりやすくまとめた力作。関西だけでなく関東の文字焼き、どんどん焼きなどにも言及しているのは流石だ。

たこ焼きは明石の(玉子焼きの)アイデアを取り入れて誕生したという推測は正しいと思う。

‥店の屋号は会津屋。これをみたとき、たこ焼きの原点はここにある、と直感した‥昭和初期に話をもどして……。たくさんのラヂオ焼き屋台が街角で子供相手に商売をしていたころ、もっとおいしくしようと、試行錯誤を始めたのが、会津屋の初代、遠藤留吉さんだった‥大阪でもタコは庶民の食材だった‥タコを入れてみたら、これまで試したどの具材よりおいしかった‥薄力粉は「バイオレット」(日清製粉)という一等粉を選んだ…留吉さんは迷わず、「たこ焼き」と暖簾を出す‥ラヂオ焼きから、肉焼きへ。肉焼きから、たこ焼きへ。一九三五(昭和一〇)年、留吉さん二八歳の秋のことだ‥

私が大阪のたこ焼きを初めて食べたのは中学2年生の時だった。中がとろっとしており、表面には醤油が塗ってあった。ソースが当たり前と思っていたのでショックだったが、素朴なおいしさに感動した。それまで自分が食べきたたこ焼きは団子や餅の出来損ないみたいなものだった。

北関東で一人暮らしをしていた頃、その地のたこ焼きがあまりに不味くて自分で焼くようになった。薄力粉をだし(横着する時は市販の顆粒)で溶くからあの旨さが出ることを経験的に知った。

この本を読んで、久し振りに作ってみようかな、との思いが生じた。

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ムーンライトながら(大垣行)

2008年01月10日 | 

東京から大垣に向かう夜行快速列車ムーンライトながら。名古屋に到着する時には全席自由席になっている。7~9号車が切り離され、1~6号車が大垣行となる。

運良くセミコンパートメント席(4人掛けのテーブル付きボックス)の窓側に座ることができた。通路には立ち客が目立った。名古屋から大垣までは約40分かかる。

夜明け前で外は真っ暗。腕組みをして眠る人、音楽を聴く人、読書する人、パンをかじる人など、どの人もお疲れモードである。列車の揺れがやけに眠けを誘う。「尾張一宮」の待合室でおっさんがベンチに寝ていた。

「木曽川」辺りで朝焼けを見た。オレンジ色の空に紫雲が広がっていた。薄もやのかかる「西岐阜」を経て長良川を通過し「穂積」に停まり、列車は終点を目指す。

大垣での乗り換え時間は5分。階段を上がり2番ホームに停まっている東海道本線(加古川行)に移る。乗客は脱兎の如く飛び出して行く。皆考えることは同じである(笑)

ここでもすんなり座れた。私は目を閉じ、フーと息をはいた。それからまもなく深い眠りに入った。

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