昨日は朝から晩まで大雨で中央公園は水攻め状態だったと家の者から聞いた。私は雨に濡れるのが嫌な性質なので家から一歩も出なかった。基本的に福山人は雨の中歩くことを避けたがる(笑)。少し晴れ間の出た中央公園には大勢の人が来ていた。
食品を販売する人達が「今日はバンバン売るぞ」という感じで黙々と準備をしているのを見てブースを回った。私はある工房の作家と話をして昨日の悲惨な状況を聞き出した。
市外から泊まりで出張して来た彼は「雨の所為で客が来なかったことよりも出店を取りやめた者がかなりいたのには驚きました」と言った。そして昨日の様子を取材した報道機関の配布したペラペラ紙を私に見せて「飲食店の前に並んだお客はほとんどいないのに、いかにも人が来たかのような記事にして…うちらの間では大不評をかいましたよ。貴方どう思いますか?」と怒りをあらわにした。私は苦笑して「自分に都合のいいことだけを書いて涼しい顔をするのが連中のやり方ですからねー」と答えた。
大体某宗教団体の広報紙を刷らせてもらって息をしているような会社に公平公正な報道など期待する方が無理である。同じ人間(支局配属)が同じ田舎町のことについてダラダラと思い入れたっぷりのマンセー感想文(餌をくれる無能な権力者にはさりげなく尻尾を振る)を書いて紙面に載せたところである一定の知識層(クレバー)からは無視される。だから私にとって地元紙といえるのはお隣の県の山陽新聞なのだ。こちらは福山市中心部の人間に対して尊敬の念を持って取材した上で記事にしているので好感が持てる。偏向報道への不信感が出店者の間に広まった事実を知ることができて大変有意義だった。
食品を販売する人達が「今日はバンバン売るぞ」という感じで黙々と準備をしているのを見てブースを回った。私はある工房の作家と話をして昨日の悲惨な状況を聞き出した。
市外から泊まりで出張して来た彼は「雨の所為で客が来なかったことよりも出店を取りやめた者がかなりいたのには驚きました」と言った。そして昨日の様子を取材した報道機関の配布したペラペラ紙を私に見せて「飲食店の前に並んだお客はほとんどいないのに、いかにも人が来たかのような記事にして…うちらの間では大不評をかいましたよ。貴方どう思いますか?」と怒りをあらわにした。私は苦笑して「自分に都合のいいことだけを書いて涼しい顔をするのが連中のやり方ですからねー」と答えた。
大体某宗教団体の広報紙を刷らせてもらって息をしているような会社に公平公正な報道など期待する方が無理である。同じ人間(支局配属)が同じ田舎町のことについてダラダラと思い入れたっぷりのマンセー感想文(餌をくれる無能な権力者にはさりげなく尻尾を振る)を書いて紙面に載せたところである一定の知識層(クレバー)からは無視される。だから私にとって地元紙といえるのはお隣の県の山陽新聞なのだ。こちらは福山市中心部の人間に対して尊敬の念を持って取材した上で記事にしているので好感が持てる。偏向報道への不信感が出店者の間に広まった事実を知ることができて大変有意義だった。
元ビートルズのベーシスト・ポール・マッカートニーはメロディー・メーカーとして知られる。彼の最も有名な楽曲(実質的にはソロ作品)がイエスタデイだ。ジョン・レノンが射殺されたニュースが全世界に流れた時、私は小学6年生だった。学校から帰ってテレビをつけると余りにも有名なイントロが聴こえてきた。私がビートルズに夢中になるのはそれから数年後のことである。
今年11月来日するポールはプロ意識の非常に強い人だ。ビートルズのメンバーが過密コンサート・スケジュールに嫌気がさしていた頃でも彼だけはファン・サービスに努めていた。昭和41年(1966)の武道館公演の映像を見るとそれがよく分かる。結局ビートルズとしての興行コンサートはこの年が最後になった。武道館に足を運んだ黒柳徹子さんが自身のトーク番組で興奮のあまり失禁する女性ファンを何人も見たという話は非常に生々しかった。
ポールの全盛期はウィングスとして活動していた昭和51年(1976)頃だと私は思う。この年ウィングスは全米ツアーを行いその模様はオフィシャルアルバムに(一応継ぎ接ぎの完全版として)収録された。オフィシャルは音質最高だが、観客の口笛や手拍子は聴こえないので臨場感には欠ける。会場の熱気や演奏レベルの高さを知るにはやはりブートレッグを聴く必要がある。5月22日のボストン公演は当時の隠密録音(オープンリールテープを使用したと思われる)としては最高峰だ(アンコールに演奏されていたソイリーだけがイングルウッド公演。※演奏されなかった可能性もあるが、詳細は不明)
改めて聴きなおしてみたが、ポールの演奏は完璧と言ってよいほど凄い。アコースティック・セットの夢の人~ブラックバード~イエスタデイの流れがいい。後半マイ・ラブ、あの娘におせっかい、シリー・ラブ・ソングズ、バンド・オン・ザ・ランと全米№1になった曲が続き最高のフィナーレを迎える。生を観た人が本当に羨ましい。
今年11月来日するポールはプロ意識の非常に強い人だ。ビートルズのメンバーが過密コンサート・スケジュールに嫌気がさしていた頃でも彼だけはファン・サービスに努めていた。昭和41年(1966)の武道館公演の映像を見るとそれがよく分かる。結局ビートルズとしての興行コンサートはこの年が最後になった。武道館に足を運んだ黒柳徹子さんが自身のトーク番組で興奮のあまり失禁する女性ファンを何人も見たという話は非常に生々しかった。
ポールの全盛期はウィングスとして活動していた昭和51年(1976)頃だと私は思う。この年ウィングスは全米ツアーを行いその模様はオフィシャルアルバムに(一応継ぎ接ぎの完全版として)収録された。オフィシャルは音質最高だが、観客の口笛や手拍子は聴こえないので臨場感には欠ける。会場の熱気や演奏レベルの高さを知るにはやはりブートレッグを聴く必要がある。5月22日のボストン公演は当時の隠密録音(オープンリールテープを使用したと思われる)としては最高峰だ(アンコールに演奏されていたソイリーだけがイングルウッド公演。※演奏されなかった可能性もあるが、詳細は不明)
改めて聴きなおしてみたが、ポールの演奏は完璧と言ってよいほど凄い。アコースティック・セットの夢の人~ブラックバード~イエスタデイの流れがいい。後半マイ・ラブ、あの娘におせっかい、シリー・ラブ・ソングズ、バンド・オン・ザ・ランと全米№1になった曲が続き最高のフィナーレを迎える。生を観た人が本当に羨ましい。