深津高地の頂からお囃子の音(テープ)を聞いた私は笠岡街道まで出た。午前中まで大雨が降ったので大名行列は中止になった。残念だが、来年まで待つとしよう。
東深津町の秋祭りは活気がある。神輿を載せたトラックが3台出て町内を回り地域住民が御祝儀袋を持って次々と出て来る。包みを受け取った祭りの役員が即座にマイクで「○◇☆□さんより御祝儀をいただきましたー。ありがとうございまーす」と丁寧に礼を言う。この繰り返しがずっと続き大層賑やかだ。
御輿の前を歩く鬼を怖がるのは幼子も小犬も同じ。「えりゃー臆病な犬じゃのう」という眼鏡をかけた男の突込みに一同が大笑いした。貰った飴をなめながら小学生が鬼の後について行く。昭和40年代末、私の町内の祭もこんな感じだった。東深津町には今も伝統を大切にする人達が多く住んでいることを知りとても嬉しかった。
東深津町の秋祭りは活気がある。神輿を載せたトラックが3台出て町内を回り地域住民が御祝儀袋を持って次々と出て来る。包みを受け取った祭りの役員が即座にマイクで「○◇☆□さんより御祝儀をいただきましたー。ありがとうございまーす」と丁寧に礼を言う。この繰り返しがずっと続き大層賑やかだ。
御輿の前を歩く鬼を怖がるのは幼子も小犬も同じ。「えりゃー臆病な犬じゃのう」という眼鏡をかけた男の突込みに一同が大笑いした。貰った飴をなめながら小学生が鬼の後について行く。昭和40年代末、私の町内の祭もこんな感じだった。東深津町には今も伝統を大切にする人達が多く住んでいることを知りとても嬉しかった。
片鉄ロマン街道とは片上鉄道の路線跡を平成15年(2003)6月に自転車道として復活させたものである。岡山県和気郡和気町のホームページの観光ガイドには廃線となった片上鉄道の歴史が載っている。
片上鉄道は、同和鉱業柵原鉱業所で掘られた硫化鉄鉱などの輸送のために、大正12年(1923年)に片山-和気間で一部開業し、その後、昭和6年(1931年)に片上-柵原間(33.8km)が全線開通しました。
片鉄の愛称で親しまれた鉄道は、吉井川に沿ってゆっくり走り、通勤通学の足としても利用され、かつての高瀬舟に代わる交通の主役でした。
しかし、鉱石輸送廃止後、片上鉄道は路線廃止への一路をたどり、平成3年(1991年)6月、長い鉄道の歴史に幕を下ろしました。
JR山陽本線・岡山駅から姫路方面行の普通電車に乗る人は和気駅に到着する直前、金剛川橋梁に「片鉄ロマン街道」と大文字で書かれているの目にしたことがあるはずだ。
11月3日のイベントは和気駅から路線跡を歩いて伊部駅にゴールするというもの。その頃には相当涼しくなっているだろうから和気駅前で自転車を借りて周辺をサイクリングしても楽しいと思う。
片上鉄道は、同和鉱業柵原鉱業所で掘られた硫化鉄鉱などの輸送のために、大正12年(1923年)に片山-和気間で一部開業し、その後、昭和6年(1931年)に片上-柵原間(33.8km)が全線開通しました。
片鉄の愛称で親しまれた鉄道は、吉井川に沿ってゆっくり走り、通勤通学の足としても利用され、かつての高瀬舟に代わる交通の主役でした。
しかし、鉱石輸送廃止後、片上鉄道は路線廃止への一路をたどり、平成3年(1991年)6月、長い鉄道の歴史に幕を下ろしました。
JR山陽本線・岡山駅から姫路方面行の普通電車に乗る人は和気駅に到着する直前、金剛川橋梁に「片鉄ロマン街道」と大文字で書かれているの目にしたことがあるはずだ。
11月3日のイベントは和気駅から路線跡を歩いて伊部駅にゴールするというもの。その頃には相当涼しくなっているだろうから和気駅前で自転車を借りて周辺をサイクリングしても楽しいと思う。