一般人の食へのこだわり「産地と店のランク付け」が顕著になったのはバブル崩壊前である。毎日口にする食品に感心を持つことはいいことだが、行き過ぎると様々な問題が生じる。思い返せばバブル期には「高価な物」から売れていた。私もその流れに何ぼか身を任せた馬鹿者の一人である。身分不相応な生活をすることが善であるかのように錯覚した奇妙な時代であった。
転勤で北関東に移り瀬戸内の魚食文化をあきらめかけた頃「お前自身が魚を買い付けに水戸の先まで出掛けて魚を捌いて広島の味に仕上ればいいじゃないか」と私に知恵をつけた先輩がいた。我々はそれほど地元の味に飢えていた。私は助言に従い全て自分でやることを覚えた。向こうの人間にとってみればこれほど嫌味な行為はなかった。
当然顰蹙は買ったが、得た物の方が大きかった。地物の卸価格や味を自らチェックすることでシビアな原価計算が可能になったし、メディアが作り上げる派手な謳い文句を鵜呑みにしなくなったのだ。やたらと能書きを並べたがる自称食通は「舌と腕」がそれほど発達していないのがかなりいる(また関西止まりが多い=関東での生活経験が皆無でバランス感覚に欠ける)。こういった連中が弄ばれる傾向は今後も続く。「知らぬが仏」とはよく言ったものだ(笑)
転勤で北関東に移り瀬戸内の魚食文化をあきらめかけた頃「お前自身が魚を買い付けに水戸の先まで出掛けて魚を捌いて広島の味に仕上ればいいじゃないか」と私に知恵をつけた先輩がいた。我々はそれほど地元の味に飢えていた。私は助言に従い全て自分でやることを覚えた。向こうの人間にとってみればこれほど嫌味な行為はなかった。
当然顰蹙は買ったが、得た物の方が大きかった。地物の卸価格や味を自らチェックすることでシビアな原価計算が可能になったし、メディアが作り上げる派手な謳い文句を鵜呑みにしなくなったのだ。やたらと能書きを並べたがる自称食通は「舌と腕」がそれほど発達していないのがかなりいる(また関西止まりが多い=関東での生活経験が皆無でバランス感覚に欠ける)。こういった連中が弄ばれる傾向は今後も続く。「知らぬが仏」とはよく言ったものだ(笑)