寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

秋の福山城公園を散歩

2013年10月10日 | 日記
夏が終わったとは言い難いような気温が連日続き少しうんざりしている。とはいえ、早朝だけは過ごしやすくなった。福山城公園(本丸広場)にはラジオ体操をするために老人たちが集まっていた。

旧内藤家長屋門

旧内藤家長屋門の説明板

以前色褪せて文字が読みにくいことを指摘した旧内藤家長屋門(福山市指定文化財)の説明板が塗り替えられていた。これなら観光客にも移築された建造物の価値が分かる。やればできるじゃないか(笑)

現在、福山城博物館では秋季特別展「武家のよそおい‐武芸と学問‐」が開催中である。博物館にエレベーターはないが、なまった体を動かすにはちょうどいいくらいだ。天守に登り福山市中心部の発展をぜひ自分の目で確認して欲しい(米軍の空襲で一時焼野原となったことを我々は語り継いでいく責任がある)

秋季特別展の看板

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ

笠岡市・東本町商店街を通過し伏越へ

2013年10月10日 | 
東本町商店街には黒漆喰壁の建物がかなり残っている。廣井三郎商店の裏(笠岡駅から少し東に行った辺り)はかつて荷揚げ場であった。その船着き場が埋め立てられて山陽鉄道の路線が造られ現在に至っている。

大口酒店

薬師堂

酒屋の前を通過し商店街を抜け古道を進む。薬師堂の前の道は旧鴨方往来と呼ばれるが、私には浜街道という名称の方がしっくり来る。「古地図と巡る笠岡今はむかし物語1」には旧鴨方往来について次のように説明している。

備前岡山城下を起点に、備中を横断し備後福山の大門に至る道。かつては海岸線であったため「浜街道」とも呼ばれていました。

笠岡の街は福山藩の時代から行われた干拓やその後の埋め立て等によって相当に海岸線が変わっているのである。大平の世に所領を増やすために盛んに新田開発が行われた歴史を我々はもっと知るべきであろう。耕作地は住宅街へと変貌を遂げた。人間は便利な平地での生活を望むのが当たり前だからだ。私は伏越(ふしごえ)の踏切の手前まで来ていた。

浜街道

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ