福山市御船町1丁目に残る江戸時代の道しるべから南へ10mほど行った所に小さなお堂がある。詳しく書くとメインストリートより一本南側の路地のクランク部分に建っている。道しるべ脇の説明板を見るとこれが昔の道筋であることが分かる。

お堂の中には北向き地蔵尊が祀られている。地蔵が北を向いている例は全国でも400程度と少ないらしい。北向き地蔵尊で真っ先に思いつくのが大津市のそれだ。御仕置場跡地に建っているので郷土史研究家の間ではとりわけ有名なのである。御船町と地蔵の関連は不明だが、福山藩の牢屋敷は地蔵堂の近くにあった。
十二 牢屋鋪ニ而死罪之もの科書町在江可触知候事
寛政四壬子年十一月被 仰出
一死罪獄門、榎峠ニ而刎首いたし、下之町在之もの示にも成候処、去ル戌年十一月被 仰出、牢屋鋪御仕置場ニ而刎首いたし候ニ付、以来は其度々科書を以町在之もの江為触示候様可被致候、尤追々触行届候様、別段入用は一切不掛様可申付候
福山藩『御仕置定式』

地蔵真言「おん かかかみ さんまえ そわか(おん かかか びさんまえい そわか)」を唱えれば何か一つ願い事が叶うかも…


お堂の中には北向き地蔵尊が祀られている。地蔵が北を向いている例は全国でも400程度と少ないらしい。北向き地蔵尊で真っ先に思いつくのが大津市のそれだ。御仕置場跡地に建っているので郷土史研究家の間ではとりわけ有名なのである。御船町と地蔵の関連は不明だが、福山藩の牢屋敷は地蔵堂の近くにあった。
十二 牢屋鋪ニ而死罪之もの科書町在江可触知候事
寛政四壬子年十一月被 仰出
一死罪獄門、榎峠ニ而刎首いたし、下之町在之もの示にも成候処、去ル戌年十一月被 仰出、牢屋鋪御仕置場ニ而刎首いたし候ニ付、以来は其度々科書を以町在之もの江為触示候様可被致候、尤追々触行届候様、別段入用は一切不掛様可申付候
福山藩『御仕置定式』

地蔵真言「おん かかかみ さんまえ そわか(おん かかか びさんまえい そわか)」を唱えれば何か一つ願い事が叶うかも…

