寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

笠岡市・大磯の観音堂(後編)

2013年10月17日 | 
江戸期、大磯川の左岸に代官所の御仕置場があった。ここで百姓一揆を企てた科で久兵衛と義兵衛の二人が(首謀者として)首を刎ねられた。明和九年(1772)六月のことである。義民の慰霊碑はその後富岡の観音堂に移されたという。

応神山から番町地区を望む

私は応神山登山道を少しだけ登り笠岡グランドホテルの辺りを眺めた。自分の立ち位置のすぐ下で罪人が冥土に送られていたと思うと背筋が寒くなった。義民の名は後々まで残るのに対して極悪人の名はいつの間にか忘れ去られる。それは備後福山でも同じであるが、私は後者も言い伝えていくべきだったと考える。そうすれば仕置人の評価もまるっきり変わっていたに違いない。

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朝鮮通信使再現行列(呉市・下蒲刈町合併10周年記念)

2013年10月17日 | 日記
安芸郡下蒲刈町が呉市と合併して10年になる。次の日曜日に下蒲刈島(呉市下蒲刈町)の朝鮮通信使再現行列を見に行く人は多いと思う。広島市内からは車で小一時間とアクセスがよいからである。広島バスセンターからバスに乗り下蒲刈中学校で下車してもほぼ同じ時間で行くことができる。

朝鮮通信使再現行列のコース

イベントでは再現衣装を身にまとった約250人の参加者が下蒲刈市民センターから下蒲刈中学校まで派手にパレードする。福島雁木の辺りから櫂伝馬を見られるのが嬉しい。私は近いうちに島で三汁十五菜の膳を食べようと思っている。

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瀬戸内の小魚の南蛮漬け(昔の作り方)

2013年10月17日 | 食文化
大正生まれの祖母は魚の行商をするおっさん(カブで得意先を毎日回っていた)からギギなどを買って七輪で焼いては三杯酢に漬け込んでいた(保存食として重宝していた)。頭と内臓を取らずに素焼きするのが昔の作り方である。

最近は頭をはねて油で揚げるのが主流だが、魚の持ち味を活かすという意味では素焼きの方が適していると思う。酢につけて2日後くらいが食べ頃だ。写真は備中名物のワチ。

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