岡山県営食肉地方卸売市場には家畜搬入車両入口(左)と一般車両入口(右)の2つがある。私は律儀にも裏口から出て駐車場の横を通り旭川の土手に上がった。
両備バス・大井手バス停は旧地名を示している。現在の県営食肉市場が出来る前は近くに市営と畜場があったようだが、その住所が岡山市網浜大井手だったのである。バス停の西側・対岸が北区二日市町でかつては岡山刑務所が建っていた。刑務所の前身は監獄である。内田百閒は『山屋敷の消滅(昭和32年11月)』というエッセイの中で監獄署の思い出をかなり詳しく綴っている。
監獄署は山屋敷の木林の同じ側の、もっと下流の岸にある。私がまだ十にならない時分の子供の時、網ノ浜の父の生家へ遊びに行き、その近くの土屛の中にある同じく親戚の家の房さんのふうさんと云う被布を着た女の子と京橋川の磧へ摘み草に行った。
お前は無茶か無茶言いか
そんならお奉行に云うてやろ
と云う歌を歌った。その磧の向う岸が監獄署であった。カアキイ色と云う色の名を人が知ったのは日露戦争の後であって、ふうさんと摘み草をしたのはそれよりずっと前だから監獄の囚人の獄衣はカアキイ色ではなく赤い着物である。赤い着物を着せられた囚人が、摘み草をしている磧の続きの向うの方で、砂利を掘り返したり、それをかついでどこかへ運んで行ったりしている。みんな二人ずつ腰のところを鉄の鎖で繫がれていた。子供心にもあんまりそっちの方を見たくない様な気がした事を覚えている。
刑務所の前の監獄の、そのまだ前の牢屋と云った時分の監房は天井が低くて、中に入れられた囚人はいつも屈んでいなければならない。他の地方にも通用する言葉かどうか知らないが、だから「かがんだ事がある」と云うのは岡山の方では前科があると云う意味に用いる。
刑務所(牟佐に移転)の跡地に岡山市立中央図書館が建設された。その隣に八角園舎(明治41年竣工の旧旭東幼稚園園舎)が移築保存されている。私が平成20年(2008)年2月に撮影した写真では園舎の窓に「祝 平成19年6月18日 八角園舎 国重要文化財指定」という紙が貼られている。
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