寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

福知山駅南口公園に立ち寄り蒸気機関車を見る

2009年03月20日 | 

昨年の4月にオープンした「福知山駅南口公園」。繁華街とは逆方向の静かな所に転車台が移設され、その上にC11形式40号蒸気機関車がのっている。

蒸気機関車と転車台の説明

私は転車台正面の説明を読んだ。蒸気機関車は昭和19(1944)年から31(1956)年まで篠山(ささやま)線を走っていたものだった。昭和11(1936)年、福知山機関区内に設置された転車台は昭和47(1972)年頃まで使用されていたらしい。

蒸気機関車と転車台がセットになっている点に大きな意味があると思う。鉄道ファンならずとも一見の価値あり。無料なのがいい。

「福知山駅南口公園」

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御霊神社の南側に広がる歓楽街(その3)

2009年03月19日 | 

福知山市字中ノ「浮世小路(長さ約60m)」は細々長い。高くそびえる原色の壁を眺めながら小路を通って東に進む。それにしても色っぽい名前をつけたものだ。遊女が恋文に目を通すデザインがまた洒落ている。元色街の遊び心につくづく感心した。

福知山市字中ノの「スナック」

夜になるとカラオケを歌うおっさんのだみ声が辺りに響き渡るのだろう。犬の絵が印象的な「パーマ屋」の角を曲がり「アオイ通り」に向かう。二階の窓のくり貫き方がユニークな「スナック」の前で立ち止まりしばらく注視した。

銭湯「仲ノ湯」

「スナック」の斜向かいが大きな近代的な造りの「仲ノ湯」。歓楽街・中ノには二つも銭湯があるのだ。垢を落としたいところだが、私に許された時間は残り少なくなっていた。

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御霊神社の南側に広がる歓楽街(その2)

2009年03月18日 | 

「御霊神社」の傍らには数多くの旅館が存在する。「京屋旅館」はお好み焼き屋もやっているようだ。「三到旅館」の看板脇に「中ノ町飲食街」のアーチを見つけた。

「中ノ町飲食街」への北からの入口

道路を右折して飲食街の路地に入る。スナックが密集する地帯には懐かしき昭和の雰囲気が色濃く残っている。

かつて周辺は「特飲街」だったという話はすんなりと理解できた。点在する風俗店は「赤線」の流れを汲んでいるのかもしれぬ。

「中ノ町飲食街」から南方の「アオイ通り」を望む

「中ノ町飲食街」の長さはおよそ80mで、そのほぼ中間地点から更に細くなった道(浮世小路)が東に伸びる。飲食街南端は「アオイ通り」につながり、角にレトロな「食料品店」がある。

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御霊神社の南側に広がる歓楽街(その1)

2009年03月17日 | 

福知山市字中ノ西中ノ町に到着。スナックの看板がたくさん出たビルから北に向かう。ビルの斜向かいに面白いシルエットの銭湯「ごりょう湯」を発見した。歴史ある歓楽街に銭湯は付き物だ。

福知山市字中ノ西中ノ町の銭湯「ごりょう湯」

ここから50mほど歩いた先にかの有名な「御霊神社」が鎮座する。宇気母智神に明智光秀を合祀し災害の多い福知山の守護を願ったという。鳥居前から広小路方面(東の方角)に移動することにした。

福知山市字中ノにある「御霊神社」

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美しき福知山城を仰ぎ見る

2009年03月16日 | 

やんちゃな子どもが石垣を登ろうとして親に叱られていた。本丸には直ぐに着いた。明智光秀ゆかりの福知山城は明治8(1875)年に払い下げとなった後、取り壊されたので現存するのは石垣と銅門(あかがね)番所だけである。

福知山城天守閣

昭和61(1986)年に再建された天守閣を見上げ、こじんまりとした美しい城という印象を持った。公園として整備されているのは本丸のみだが、昔の絵図を見ると敷地は今の10倍以上ある。城郭は相当大きかったことになるのだ。

銅門番所についての説明

元々銅門脇にあった番所は昭和59(1984)年に天守台から現在の場所に移築されたそうだ。手がかなり加えられており古さはあまり感じられない。

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福知山城「京口門」があった付近

2009年03月15日 | 

お城通り(京都府道55号)に架かる陸橋の前に立つ。福知山城の「京口門」が設置された辺りである。陸橋を渡ると「登城路」につながる。

法川に架かる昇竜橋

本丸東側を流れる「法川」は堀に利用された。「法川」には立派な「昇竜橋(太鼓橋)」が架かり、その脇に「佐藤太清記念美術館」が建つ。子どもの大きなはしゃぎ声が上から聞こえてきた。

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浄土真宗本願寺派「明覚寺」の背後を通り過ぎる

2009年03月15日 | 

福知山市字呉服の「明覚寺」。福知山城の門を移築したのが現在の山門になっている。

はるか昔「明覚寺」裏に「上船渡」という船着場があった。それはおそらく堤を下りた辺りを指すのだろう。船をつなぐ「台場」は昭和61(1986)年の堤防整備により埋められてしまったので、今ではその姿を見ることはできない。

左手の遠方に「法川排水機場」が見えてきた。しばらく歩いて、ある公民館の前に辿り着いた。窓に張られた「標語」がすばらしい。

有り難い「標語」

畜生道に落ちた者の多くは「挨拶」もろくにできない。基本を疎かにして能書きを垂れるから賢者に小馬鹿にされるのだ。雨後の筍の如く増殖する田分けに読ませたい「標語」だった(笑)

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長い音無瀬橋を渡り城下町へ入る

2009年03月14日 | 

福知山市猪崎と上柳を結ぶ「音無瀬橋」は全長478m。現在の橋は平成7(1995)年に完成した6代目である。

音無瀬橋から由良川(音無瀬川)を望む

橋の中ほどから水量の少ない由良川を眺めた。かつては物資を運搬する船が行き交い街は大いに繁栄した。しかし、一旦川が暴れ出すと河川敷に甚大な被害をもたらした。地域住民の苦労に思いを馳せたところで橋を渡り切った。

福知山市下柳の「水天宮社」

ここから右の坂道を少し下ったところ(堤防の中腹辺り)に建つ「水天宮社・稲荷神社」。水難除けの水神様が今なお大切に祀られている。

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吹き曝しの由良川河川敷

2009年03月13日 | 

「城山橋」を通過し一気に堤を駆け上がった。こんもりした小高い城山(猪崎城跡方面)を望み旧色街に別れを告げた。冷たい風が容赦なく吹きつけ顔が痛い。

堤から城山方面を望む

「由良川猪崎河川敷運動広場」でサッカーに興じる子どもの姿を見て自分の少年時代との違いを思わずにはいられなかった。当時は野球の全盛期で、サッカーはマイナーなスポーツだった。体育の授業ではやる気のない動きを見せる少年が大半を占めていた。

「由良川猪崎河川敷運動広場」

つまらないことを回想しながら大きな橋を目標にして進むのだが、距離はなかなか縮まらなかった。

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猪崎遊廓跡の歴史的建造物(後編)

2009年03月12日 | 

色街の中心部近くにお城のような三階建てがあり一際目立っていた。実にユーモラスな造りだと思い両眼にしっかりと焼き付けた。

猪崎遊廓跡の建物D

遊里の代表的な建造物に共通するのが「ベンガラ塗り壁」だった。平成という時代になっても華やかりし頃を偲ぶのに最適な教材が残っていることに深く感謝した。手の込んだ細工や奥行き、そして圧倒的な迫力は実際に建物の前に立った人間にしか分かりやしない。

猪崎遊廓跡の建物E(一階は朱色の塗り壁)

朱色の壁を持つ家は三軒あった。最後に目にした建物は一階の壁の一部がベンガラ塗りで二階を巨木の一枚板で覆っていた。これがもし「黒柿」だとしたら、とんでもない値段だろう。

雪止め瓦

この家の瓦には取っ手のようなものが付いていた。雪にはまったくと言ってよいほど縁のない土地で暮らしている人間が生まれて初めて「雪止め瓦」を見た瞬間だった。

猪崎遊廓跡の建物F

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猪崎遊廓跡の歴史的建造物(前編)

2009年03月11日 | 

石段を下り終えた私は傍らのコンクリート建築をマジマジと眺めた。色街に足を踏み入れたのである。明治29(1896)年夏に発生した大水害で音無瀬川橋下の堤防上にあった遊廓が流されて猪崎に移転したという話だから歴史は長い。

私は「遊廓は日本における一つの文化」と考える人間である。「遊女にとっては苦界」であるのに対して「好色男にはまさに極楽(花園)」であった。

花街で金が湯水の如く使われ昭和初期までは大きな経済効果を上げた。遊廓周辺の料理屋、酒屋、用心棒などは大いに恩恵を受けたし、税金が入ってくる御上も同様だった。つまり遊女を犠牲にして街全体が潤っていたのである。これが締め付けの厳しい現在との大きな違いだ。

猪崎遊廓跡に残る建物A

妓楼は男達の目をひくために贅を尽くした造りになっていることが多い。最初に目をつけた建物の玄関や格子には非常に細かい仕事がしてあった。

次に足を止めた建物は往時の勢いを感じさせた。破風、欄干、明かり取りの窓、すべてが豪華だ。玄関脇の大きなブロックのようなものは防火用水だろうか。明かり取りの窓は倉敷市川西町の妓楼で見たものに酷似していた。建てられた年代が近いのだと思われる。

猪崎遊廓跡に残る建物B

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猪崎城跡近くに小さな祠あり

2009年03月10日 | 

城跡から坂を下っていくと朱色の小さな祠があった。狛犬と石灯籠の手前の層塔は今にも倒れそうである。層塔に「世話人 油家」という文字を確認した。祠は山のふもとの住民が祀ったものだろう。

猪崎城跡の近くにある祠

層塔に刻まれた世話人の名前

生い茂る竹林を抜けて石段が視界に入った時のことである。右手の建物に特異な雰囲気を感じた。これと似たような赤壁の家を福井市の川向こうで見た記憶が蘇ってきた。

赤壁の家

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福知山市を訪れ猪崎城跡に立つ

2009年03月09日 | 

私は両手に息を吹きかけて猪崎城跡に立った。明智光秀が城下町を作る以前に塩見氏の城があったとされる場所である。猪崎と書いて「いざき」と読む。

城山の桜は寒さにじっと耐えて春が来るのを待っていた。山からは福知山市街が一望できる。かつて由良川(音無瀬川)沿いの畑では桑が栽培されていた。養蚕で栄えた街には郡是製糸(現グンゼ)の工場があった。

由良川は過去に何度も氾濫し、地域住民を苦しめてきた。河川敷に強固な堤防が築かれるまでには非常に長い年月を要している。「百聞は一見に如かずだ」とつくづく思った。

猪崎城跡から由良川を望む

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菜の花のお浸し

2009年03月08日 | 食材

春を代表する野菜の菜の花。たくさん採れるのか1束100円程度で売っている。数ある菜の花料理の中で私はお浸しが一番好きだ。

沸騰した食塩水で30秒程度ゆでて水気を軽く絞り冷ましただし汁に10分漬け込む。ほろ苦さの中にも淡い甘みがあり、まさに大人の味だ。鮮やかな緑色は春の到来が近いことを告げている。

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2009ワールド・ベースボール・クラシック(日本×韓国)

2009年03月07日 | 日記
因縁の対決を制した日本。7回コールド勝ちに一先ずほっとした。中島の活躍が目立った試合だった。不調が心配されたイチローもいやらしい職人技を見せていた。村田の3ランが試合を決めたと言ってもよいだろう。気を抜かずに今後も頑張ってもらいたい。

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