地元について話をする際に私は安っぽい自慢にならぬように気をつけている。
ネイティブには2種類ある。生まれ育った地から遠くに1度も出たことのない人間と大学進学や転勤により県外で数年間暮らした人間である。概して前者は目が肥えておらず地元に甘い点数をつけて余所者に対して偏った考え方(イデオロギーを含む)を押し付けがちである。
広島が観光地としてイマイチの評価を下されるようになってきたのは先に述べたようなことで旅人に「鬱陶しさ(暑苦しさ)」を感じさせているのではないかと思うのだ。
私は故郷を他人に説明する時にはこう言う。
「暮らすには便利な街だと思いますよ、欲しい物を手に取れない欠点さえ我慢すれば。名産は暮れのくわいに小魚。催し物は知名度の低い花祭りにヤラセ鯛網など。どれも地味なのがミソなんですよ」
聞き終わった人はほとんどが苦笑して下を向く。歯に衣着せぬ物言いは広島県東部(岡山との県境)に生まれた人間の真骨頂だ(笑)
ネイティブには2種類ある。生まれ育った地から遠くに1度も出たことのない人間と大学進学や転勤により県外で数年間暮らした人間である。概して前者は目が肥えておらず地元に甘い点数をつけて余所者に対して偏った考え方(イデオロギーを含む)を押し付けがちである。
広島が観光地としてイマイチの評価を下されるようになってきたのは先に述べたようなことで旅人に「鬱陶しさ(暑苦しさ)」を感じさせているのではないかと思うのだ。
私は故郷を他人に説明する時にはこう言う。
「暮らすには便利な街だと思いますよ、欲しい物を手に取れない欠点さえ我慢すれば。名産は暮れのくわいに小魚。催し物は知名度の低い花祭りにヤラセ鯛網など。どれも地味なのがミソなんですよ」
聞き終わった人はほとんどが苦笑して下を向く。歯に衣着せぬ物言いは広島県東部(岡山との県境)に生まれた人間の真骨頂だ(笑)
名物自慢をこれでもかという位聞かされるといやーな気持ちになる。やはり許容限度があるのだ。
テレビは「日本一」とか「絶品」といった言葉を毎日のように垂れ流す。競合先に品質で並ばれて生産量の多さを強調するだけのカビ臭い商品をお客が買いたいと思うだろうか?
右肩上がりの消費経済が崩壊した今、需要と供給のバランス(人口減少と食の変化)を考えて生産量を調整しなければ悲しい結果が待ち受けるのは子どもにもわかる。
私は居酒屋「大はし」の宣伝文句を思い出して微笑んだ。
名物にうまいものあり北千住
牛のにこみでわたる大橋
千住で2番
創業明治十年 大はし
「洒落っ気」や「はにかみ」を多くの日本人が失ってしまったことと低級な文化を生み出す土壌には密接な関係があるだろう。
テレビは「日本一」とか「絶品」といった言葉を毎日のように垂れ流す。競合先に品質で並ばれて生産量の多さを強調するだけのカビ臭い商品をお客が買いたいと思うだろうか?
右肩上がりの消費経済が崩壊した今、需要と供給のバランス(人口減少と食の変化)を考えて生産量を調整しなければ悲しい結果が待ち受けるのは子どもにもわかる。
私は居酒屋「大はし」の宣伝文句を思い出して微笑んだ。
名物にうまいものあり北千住
牛のにこみでわたる大橋
千住で2番
創業明治十年 大はし
「洒落っ気」や「はにかみ」を多くの日本人が失ってしまったことと低級な文化を生み出す土壌には密接な関係があるだろう。
底冷えに耐えかねて長等商店街に駆け込んだ。私はめでたい名前の食堂に入りきぬがさうどんを頼んだ。そしてお茶の入った湯飲みを両手で握り徐々に指の感覚を取り戻した。
きぬがさ(衣笠)とは食べやすい大きさに刻んだ揚げを卵とじにしたものだ。大津は京都から近いので食文化も強い影響を受けているのだろう。
店主が言った通り「ごく普通のうどん玉」だが、雪の日にはご馳走になる。卵をフワフワに仕上げているのは流石だ。広島では馴染みのないメニューをこれからは自分で作ろうと思った。
長等商店街の人は挨拶がきちんと出来ていた。それは慇懃という感じではなくまったく自然だった。私は故郷の商店街が寂れた要因を遠回しに教えられて恥ずかしくなったのである(笑)
突き当たりから道は左右に分かれて折り返して柴屋町通りと繋がる格好になっている。屋号の出た格子戸の家には古びたプレート「料理飲食等消費税 特別徴収義務者の証」が打ち付けられていた。これは遊興飲食税が昭和三十六(1961)に改称されたもので、赤線廃止の三年後にあたる。
周辺は妓楼が軒を並べている。空き地の裏側の建物は全く修繕が行われていない。私は2階手すりの「透かし彫り」に注目した。当然ながら妓楼ごとに細工は異なる。
雲や松の形は比較的多いが、瓢箪は初めて目にした。楼主は縁起をかついで招福を意味する瓢箪の「透かし彫り」を選んだのであろう。職人の技をしばし堪能してから地蔵尊が祀られている所に戻った。