寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

大津市・柴屋町遊廓跡を歩く(その3)

2010年02月13日 | 

私は通称:柴屋町通りに立った。辻から北が長等3丁目、南が同2丁目になる。有名なちゃんこ鍋の店を中心にして半径100m以内に遊廓・赤線時代の建物が残っている。その多くは3丁目にある。

元妓楼

焼き板壁の家から通りを北に進み右に曲がると小路である。和風スナックの前が空き地で、その奥はまさしく妓楼である。旧遊廓への入口付近にも祠があった。現在も地域住民が掃除をして大切にしていることが分かる。昔は商売繁盛を祈願していたのだろう。

長等3丁目の地蔵尊

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大津市・柴屋町遊廓跡を歩く(その2)

2010年02月12日 | 

円窓を二階に配置した妓楼の隣はかなり手が加えられて小料理屋のようになっているが、元々は大人の遊び場であった可能性が強い。赤線消滅後に飲食店に転業した例かも知れない。

格子戸の家

私は細い通りで色街の残り香をたっぷり嗅いだ。落ち着いた雰囲気の格子戸の家を見て辻に出た。斜向かいの建物には小さな祠が埋め込まれていた。

電柱の後ろに小さな祠がある

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大津市・柴屋町遊廓跡を歩く(その1)

2010年02月12日 | 

路地はゆるやかな坂道で東の方向へほぼ真っ直ぐ伸びている。坂を下り切る辺りに旧柴屋町(しばやまち)遊廓の面影を残す建物があった。大津市長等界隈では有名な妓楼だったはずだ。

円窓が印象的な妓楼

禅の世界で悟りの境地を意味する円窓と遊里の関係が滑稽である。梵鐘型にくり貫かれた横壁、凝った細工の組子硝子戸をより美しく見せるための計算がなされている。

円窓が印象的な妓楼の横壁

取り壊しは時間の問題と思われるほど傷みが激しいが、往時は遊び人を吸い寄せる強烈な色気を放っていたことだろう。この建物の斜め奥に位置する家屋にも妓楼特有の手すりが確認できた。

斜め奥に位置する妓楼(二階の手すり部分)

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大津市長等・徳圓寺の伝道掲示板

2010年02月11日 | 

通りを更に北上して真宗大谷派「徳圓寺」に着いた。私が寺を訪れる楽しみの一つは伝道掲示板を見ることなのだ。愚者はすこぶる当たり前のことを忘れて生活し徳を落としてゆきがちであるのを寺は静かに教えてくれる。

徳圓寺の伝道掲示板

 自分の思い通りになるものなど この世には一つもありません 
 それを自分の意のままに しようとするから腹が立つんです

私は掲示板の前で大声を出して笑った。50~60代の短絡的思考かつ無節操オヤジ達が嫌悪する文言が並んでいた。

厳しい現実から目を逸らし、めでたい理念のみを追求する田分けを夢想家と言う。現在の政治家は可笑しいほどこれに近い。寺の先を右折し車1台がやっと通過できるような道を歩いた。

大津市長等にある坂

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大津駅前から近江鉄道バスに乗車する

2010年02月11日 | 

JR大津駅前からバス乗り場に移動した。まもなく小型の近江鉄道バスが3番に入ってきた。ここから乗車したのは私を含めて2人、先客が2人がいた。終点の浜大津で下車。料金は100円だった。

大津市浜大津の三井寺力餅

国道161号線を南下、向かいに明治二年創業の「三井寺力餅」が見える。食べたことはないが、名前だけは知っている。

「京町1」交差点から西に進路をとりどんつきを右折した。「長等商店街」のアーケードの前を通り過ぎる時、青果店の主人が暇そうにしていた。

長等商店街

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大津の方言と地元のそれを比較して遊ぶ

2010年02月10日 | 

大津の方言は興味深い。備後地方でも通じる言葉としてはええもん、炊いたん、焼いたん、がある。ぬくといが広島ではぬくい、ようさんが同じくぎょうさん(仰山)であり、結構似ていることに気づく。

「ようおいんなぁー」を地元の年寄りの言葉に直せば「ようきちゃったなぁー」か「ようきんさったなぁー」だろう。親しい友達に対して使うのなら「よう来たのぅ」で十分だ。駅前で3分ほど方言比較をして遊んだ旅人は左の方向へ歩いて行った。

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びわ湖よし笛ロードを歩いて帰路につく

2010年02月10日 | 

私は滋賀県道600号近江八幡安土能登川自転車道線に入り足を止めた。急に懐かしさのようなものを感じたのである。広大な農地を眺めていると40年ほど前の故郷の景色がおぼろげながら蘇ってきた。

昭和40年代後半、市内(駅から半径1キロ以内)に水田や畑そして野原がたくさんあった。ガキどもは光化学スモッグ警報が出ようが構うことなく暗くなるまでコオロギやトンボを捕っていた。ところが緑の風景は昭和50(1975)年の山陽新幹線開通を境にわずか数年で失われたのである。

安土山を望む

安土山を背にしてJR琵琶湖線の電車が走り去って行く。幼い私はこれと似たような風景を毎日見ていたはずである。残念ながらそんな思い出は全く頭に残っていない。15分ばかり歩けば駅だ、自分に言い聞かせるように囁き帰路についた。

びわ湖よし笛ロードを歩いて安土駅に向かう

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安土町の大己貴神社に参拝する

2010年02月09日 | 

瓢箪山古墳入口からなだらかな坂を下り住宅地が見えた。私は石造りの鳥居に近づいて「大己貴神社」という名称を確認した。

大己貴神社

おそらく祀神は日本神話に登場する大己貴命(おおなむちのみこと)であろう。須佐之男命の子孫を何時頃から祀っているのかは不明だが、歴史は相当古いように思われた。参拝を済ませて「光明寺」の前を通って綺麗な道路に出た。

光明寺

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瓢箪山古墳頂上で椿を眺める

2010年02月09日 | 

竹に囲まれた道をしばらく進むと二手に分かれ、右方向に「瓢箪山古墳入口」の標識が出ていた。

瓢箪山古墳

瓢箪山古墳は4世紀頃に造られた滋賀県下最大級の前方後円墳である。発掘調査の結果、後円部に3基の竪穴式石室と前円部に2基の箱式石棺があったことが判明している。

竪穴式石室の被葬者はこの辺りを支配していた豪族・狭狭城山君の祖先という説もあるが、特定には至っていない。

瓢箪山古墳の頂上付近

古墳頂上部に登り白い息を吐く。身軽になった木々の中で椿が力強く咲いている。時計を見た私は「そろそろ帰るかな」と呟き下山した。

寒椿を眺めて一服する

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瓢箪山古墳へ行く道を訊く

2010年02月08日 | 

信長の館を後にして文芸の郷グランド脇の駐車場を通り細い道へ出た。

「さてどうしたものか。このMAPには詳しい道がのっていないぞ」

私は近くを散歩していた男性を捉まえて瓢箪山古墳へ行く道を尋ねた。珍しいことに選んだ道は正しかった。

男性は道を真っ直ぐ上っていくと辻があると言った。そこを左折すると「桑実寺(くわのみじ)」だが、古墳へは竹やぶに向かって行けばよいと簡潔に教えてくれた。私は礼を言って坂を上った。

桑実寺の説明

男性の言うとおり辻には桑実寺の方向を示す説明板が設置されていた。寺に寄る時間的余裕はなかったので迷わず直進した。

竹やぶ

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信長の館を見学する(後編)

2010年02月08日 | 

天主6階の外壁には大量の金箔が施されきらびやかだ。金と黒で彩られた空間はまるで巨大な仏壇のようである。

安土城天主6階内部

内部の「金碧障壁画」は狩野永徳一門が描いたと言われている。信長の果たせなかった野望に思いを馳せて最終目的地に移動することにした。

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信長の館を見学する(前編)

2010年02月07日 | 

安土町を観光で訪れる人達が最も見たいと思っているのは信長の館かも知れない。ここのウリは「金碧障壁画」や「天主指図」を参考に復元された原寸大の安土城天主(5階と6階)だ。

安土城の模型

天主を見学する前に近くに展示されている安土城の模型(ペーパークラフト)をしっかり頭に刻み込んでおくと良いだろう。

安土城天主5階部分

天主5階は正八角形で柱は朱塗りになっている。内部には「釈迦説法図」がある。天主6階へ行くにはらせん階段を上る。

らせん階段から見た天主5階

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近江風土記の丘に移築された旧柳原学校校舎

2010年02月07日 | 

歴史公園「近江風土記の丘」には安土城跡や安土城考古博物館の他に多くの見所がある。信長の館に移動する時に面白い様式の建物を見つけた。明治九(1876)年に完成した柳原(りゅうげん)学校である。旧高島郡新儀村にあった小学校の校舎は昭和四十五(1970)年にこの場所に移築された。

旧柳原学校内部(梁)

文明開化に伴い洋風建築が全国各地に広まっていったことを示す貴重な文化財だ。中に入ってみるとやはり我が国独特の技術(梁の組み方)が駆使されている。校舎の近くには江戸期に造られた追分の道標や常夜燈などが集められており私の目を楽しませてくれた。

追分の道標と常夜燈

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滋賀県立安土城考古博物館に入る

2010年02月06日 | 

安土城址前の信号機から文芸の郷までは私の足でおよそ10分かかった。安土城考古博物館の受付で信長の館との共通券(720円)を買った。

第一常設展示室は弥生時代から古墳時代の人々の生活を分かりやすく説明している。古墳石室の実物大復元模型の中に入ることができるのが良かった。

ちょうどこの時「よみがえった文化財」の展示と「平成21年度滋賀県新指定文化財」の特別公開が行われてた。私は野洲市の西河原遺跡から出土した木簡(7~8世紀)をじっくり眺めた。

紙が普及する以前に人は竹や木に文字を記していた。それが廃棄された後は土に返るはずだが、土壌深くで空気に遮断されて地下水に覆われる条件がたまたま重なり腐敗のスピードが緩やかになったと考えられる。こうして発見されたものが現代の技術によって丁寧に処理され文字が判読可能になるのだ。

第2常設展示室は城好きのみならず一般の人も楽しめる内容だ。城郭、城下町、水運の関係を研究する者にとっては大いに参考になった。

信長の館との共通券

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安土町の広大な農地に驚く

2010年02月06日 | 

安土城跡から標識に従い細い道に入る。周囲は一面農地である。冷たい風がビュービュー吹いてくる。耳が千切れるかというほど痛い。大型観光バスに乗ってきたと思われる人達と何度もすれ違った。


JR琵琶湖線が走っているところは堤のように見える。用水路に沿ってしばらく歩いて線路の下を通過。安土城考古博物館までは近いと思っていたが、これは全くの見当違いだった。

滋賀県立安土城考古博物館を望む

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