寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

広島電鉄・草津駅で帰りの電車を待つ

2010年12月25日 | 
いなり食堂で水分補給して蘇った私は草津駅で電車を待った。5分経っても電車が来る気配はない。駅の裏手(東方)に魚屋が見えた。

「電車待ちの時間が勿体ない。鮮魚店を覘いてみるかな」

近所の人が自転車で買い物にやってくる「魚勢」。鮮魚だけでなく惣菜(寿司や天ぷら)も販売している。3パックほどあった穴子棒寿司の1つを買うことにした。

勘定の最中に電車が入ってきた。私は寿司を受け取り慌しく電車に飛び乗った。ぎゅうぎゅう詰めの車内は冷房が若干効いていたが、それをチャラにするほどの熱が私から出ていたようだ。周囲の乗客の曇った表情が全てを物語っていた(笑)

広島電鉄・草津駅

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いなり食堂(広島市西区草津東)でよく冷えたビールを飲む

2010年12月25日 | 
広島電鉄・草津駅のそばにあるいなり食堂。こじんまりとした店に入るとおじいさんがうどんを啜っていた。食器棚にはばら寿司、野菜の天ぷらといったお惣菜やつまみ類が並び、客が勝手に取ってテープル席につくシステムである。ここも昭和の風が吹いていた。

私は枝豆の小皿をつまんで赤い椅子に座りビールの小瓶を注文した。おばさんが運んできたビールをコップに豪快に注ぎ泡の層を作り一気に飲み干した。言葉にならぬほど美味い、枝豆もだ。滞在時間およそ5分、勘定は500円だった。

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広島電鉄・草津駅に向かう旅人は喉がカラカラだった

2010年12月24日 | 
坂井屋の女性従業員に広島電鉄・草津駅の場所を聞いて笑われた。

「(金比羅)橋を渡って右に曲がり真っ直ぐ行けばありますよ」

私も少し恥ずかしかったが、簡潔な説明がとても有難かった。すぐに線路が視界に入った。喉はカラカラ、もう我慢の限界だった。駅の斜向かいに食堂らしき建物がある。

「自販機の麦茶じゃーあまりにも芸がない。あの食堂で一休みさせてもらおう」

体の欲求を優先し草津駅に行くのは後回しにした。

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広島市西区草津本町のかまぼこ屋・坂井屋

2010年12月24日 | 
草津本町のかまぼこ屋・坂井屋の販売コーナーから店の人を呼ぶ。返事は聞こえたが忙しいのか出て来る気配はない。私は細工かまぼこの見本写真に視線を移した。

細工かまぼこはかつて祝いの折り詰めには必ず入っていたものである。私の記憶では備後地方でその姿を見掛けなくなったのは昭和50年半ばあたりである。今でも作っている業者があったとは…。昔のことを懐かしく思い出したところに女性従業員(女将さんだろうか?)が現れた。

彼女は一見客に対して店の歴史が百年を超えることや80軒近くあったかまぼこ屋が今では数えるほどに減ってしまったことなどを丁寧に教えてくれた。商工センターへ出店する話もあったが丁重に断ったと歯切れよく語る点に老舗のプライドを見た。私は結局平天と角天の2種を手土産に買い求めた。

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金比羅橋を渡り西区草津本町に入る

2010年12月23日 | 
草津八幡宮大鳥居から南下し御幸川に架かる金比羅橋を渡る。橋の南詰から草津本町となる。

直線道路の左手に建つ家に「手造りかまぼこ・天ぷら」の看板が出ていた。広島県で天ぷらというと味付けした魚のすり身を成形して油で揚げたものを指す場合が多い。

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広島市西区田方の草津八幡宮(その10)

2010年12月23日 | 
三の鳥居を潜り一八九の石段を下りながら草津土産を近くで買い求めようと考えていた。大鳥居横に設置された掲示板、墨で書かれた今月のことばは私を釘付けにした。

今月のことば


 君子の中庸は時に中す
 小人の中庸は忌憚なし
            孔子

 孔子の教は中庸の道だが、君子の中庸と小人の中庸とに分けた。君子は時に臨み、変に応じ自在に判断するが、小人は一見自由に見えるが実は無定見に進むことが多い。見苦しい政治家達の勢力争の続く昨今、まさに小人の集りといふべきか。

私は「今月のことばをぜひ草津八幡宮公式ホームページに掲載してもらいたいものだ」と思い微笑を浮かべた。

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広島市西区田方の草津八幡宮(その9)

2010年12月22日 | 
収納庫内で神輿の修繕にあたる男性の顔つきは真剣そのものである。屈強な肉体が熱気を帯びているのがわかる。今年から例祭(御神幸行事は少なくとも270年前には始まっていたとの記録が残る)に神輿が3台出て激しくぶつかり合ったそうだ。

私はそのうちの2基を間近で見ることができ幸運であった。地元民自らが祭りを盛り上げようという意識、神輿の手入れを可能な限り自分たちの手で行う点(経費削減)には好感をおぼえた。

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広島市西区田方の草津八幡宮(その8)

2010年12月22日 | 
草津八幡宮拝殿の西方に設置された御神馬(ごしんめ)の銅像。躍動感溢れる像は二代目である。昭和六年に奉納された初代の像は同十九年に金属供出の憂き目にあっている。大原美術館(岡山県倉敷市)前のロダン作「カレーの市民」「洗礼者ヨハネ」も同様に消え失せる可能性があったことは広く知られている。

政を行う者の状況分析の甘さ、自分たちにとって都合の悪い情報の隠蔽、捏造情報の流布。これらの問題は今の世にも当てはまる。

「無責任な連中が民から厳しい審判を受ける日が近いうちに来るだろう」

旅人の低い呟きは境内にいた男衆には聞こえていないようだった。

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広島市西区田方の草津八幡宮(その7)

2010年12月21日 | 
厄除けを祈願した後、本殿を側方から望む。草津八幡宮は爆心地からちょうど5kmの位置にある。行者山(力箭山)の中に建つ本殿と拝殿は原爆の被害を免れた。

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広島市西区田方の草津八幡宮(その6)

2010年12月21日 | 
草津八幡宮の祭神は品陀和気命(ほんだわけのみこと 応神天皇)、息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと 神功皇后)、帯中津日子命(たらしなかつひこのみこと 仲哀天皇)。また宗像三女神、素盞嗚神、倉稲魂神、金刀比羅神を合祀している。

同宮のパンフレットから由緒について引用しておく。

 古来、この草津、古江の地は深い入江であって天然の良港をなし、神武天皇、神功皇后の伝説を多く残している。社伝によれば、推古天皇御宇(五九三 - 六二八)宮島の厳島神社とほぼ時を同じくして、この入江の奥に多紀理姫命を海路の守護神として祀ったのが当神社の創祀という。…往古は当社の崇敬範囲は己斐より廿日市に至る沿岸部一帯に及んでいたという。…古くは社殿は海浜の近くにあったと伝えられるが、再建の度に高所へ遷され、現在では力箭山の中腹に鎮座している。

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広島市西区田方の草津八幡宮(その5)

2010年12月20日 | 
表参道入口から境内三の鳥居まで石段は一八九(ひやく)ある。運動不足の中年にはしんどい上りだ。境内に足を踏み入れた時には汗も出なくなっていた。

「やっと最終目的地に着いたぞ」

安堵感に包まれた私は重い足を引きずり手水舎の方に向かった。

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広島市西区田方の草津八幡宮(その4)

2010年12月20日 | 
八幡宮に通じる石段の途中にある戎神社(末社)。祭神の蛭子大神はイザナキとイザナミの間に生まれた最初の神だが、不具の子として海に流し捨てられる運命だった。漂着した蛭子を民が拾い上げて「海神」として手厚く祀ったという伝説が各地に存在する。日本神話にはこのような性の営みに関するドギツイ内容が多々ある。

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広島市西区田方の草津八幡宮(その3)

2010年12月19日 | 
昭和六(1931)年一月というと濱口雄幸内閣の時代だが、前年に狙撃されたライオン首相の代理を務めていたのが幣原喜重郎(外相)である。以降、満州事変、五・一五事件が起こり政党政治は終焉し軍部の暴走が始まる。

既存メディアは右寄りの思想を敵視しがちだが、左に舵を切り過ぎた場合も同様に国を瀕死の重体に陥らせる危険性がある。我々はこの1年間嫌というほど低質な漫画を見せられてきた。理念なき多数派による政は一歩間違えるとただの独裁と化す。

恐ろしいことに「言論統制」という暗雲が現在我が国を覆いつつある。私は口をへの字に結び石段を上り始めた。

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広島市西区田方の草津八幡宮(その2)

2010年12月19日 | 
草津八幡宮表参道入口左手の注連柱には力強い書体で「神佑人和」と刻まれている。

「神佑…神の助けか…」

私は石柱の裏面を見ることにした。そこには「昭和六年一月建立 瀬川増蔵」の銘があった。

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広島市西区田方の草津八幡宮(その1)

2010年12月18日 | 
JR仙洞第1踏切を越え再び行者山(力箭山)の麓に到着した。私には草津八幡宮の注連柱と鳥居がやけに大きく見えた。神聖な場に入る前に大きく息を吸い「気合を入れて行こう」と自分自身に言い聞かせた。

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