草津本町のかまぼこ屋・坂井屋の販売コーナーから店の人を呼ぶ。返事は聞こえたが忙しいのか出て来る気配はない。私は細工かまぼこの見本写真に視線を移した。
細工かまぼこはかつて祝いの折り詰めには必ず入っていたものである。私の記憶では備後地方でその姿を見掛けなくなったのは昭和50年半ばあたりである。今でも作っている業者があったとは…。昔のことを懐かしく思い出したところに女性従業員(女将さんだろうか?)が現れた。
彼女は一見客に対して店の歴史が百年を超えることや80軒近くあったかまぼこ屋が今では数えるほどに減ってしまったことなどを丁寧に教えてくれた。商工センターへ出店する話もあったが丁重に断ったと歯切れよく語る点に老舗のプライドを見た。私は結局平天と角天の2種を手土産に買い求めた。
細工かまぼこはかつて祝いの折り詰めには必ず入っていたものである。私の記憶では備後地方でその姿を見掛けなくなったのは昭和50年半ばあたりである。今でも作っている業者があったとは…。昔のことを懐かしく思い出したところに女性従業員(女将さんだろうか?)が現れた。
彼女は一見客に対して店の歴史が百年を超えることや80軒近くあったかまぼこ屋が今では数えるほどに減ってしまったことなどを丁寧に教えてくれた。商工センターへ出店する話もあったが丁重に断ったと歯切れよく語る点に老舗のプライドを見た。私は結局平天と角天の2種を手土産に買い求めた。