日本人の三分の二に嫌われている中国だが、漢字の世界では着々と勢力拡大しているようだ。
周知のとおり、中国大陸では「簡体字」が使われ、台湾、香港および東南アジアの華僑社会では「繁体字」が使用されている。日本の漢字は、たとえば「台」の繁体字が「臺」であるにもかかわらず、略字の「台」を正字としているので、必ずしも「繁体字」を使用しているとは言い難い。もちろん、簡体字は使用していないのだが…。
最近聞いた話だが、大学の中国語の授業は、ほとんどが「簡体字」を使用したテキストを使っているそうだ。中国語教育の伝統ある大学(たとえば、二松学舎大学)では、「繁体字」を使う授業もあると聞く。
しかしながら、台湾で発行された「繁体字」のテキストは、あまり売れず、台湾書籍を扱う書店は、閑散とした有様のようだ。
これがその一冊なのだが、繁体字は風格があるのがよく分かる。第一、漢字の成り立ちがよく分かるし、書道をやるなら繁体字に限ることだろう。
繁体字が風前の灯火という現状にあるのは、日本の知識人にも大いに責任がある。「新中国」「人民中国」を礼賛するあまり、中国文学者さえもが、「簡体字」に肩入れした歴史があるからだ。中国農民の9割は文盲と言われたなかで、難しい繁体字を彼らに教えることは困難とされ、簡体字が作られたわけだが、漢字の本来の成り立ちなどお構いなしに省略化した結果、表意文字としての意味をなさなくなった漢字が増えてしまった。「人民」が主人公になれば、「文化」は廃れるという、いい見本のようなことになったのだ。
1945年当時、台湾の識字率は、ほぼ100%近かったと言われる。これは、日本の文教政策の功績だった。蒋介石の国民党が台湾に逃れてきたとき、幸いにも彼らは「繁体字」を捨てる理由はなかったのだ。台湾にあっても「中華」を自認する彼らは、むしろ「繁体字」を守ることが使命だと感じたに違いない。
だが、政治、経済などの面で、大陸中国が圧倒的な存在感を示すようになった今、漢字もその影響から逃れることは難しいのかもしれない。
歴史に翻弄される繁体字の運命は、これからどうなるのだろうか?
周知のとおり、中国大陸では「簡体字」が使われ、台湾、香港および東南アジアの華僑社会では「繁体字」が使用されている。日本の漢字は、たとえば「台」の繁体字が「臺」であるにもかかわらず、略字の「台」を正字としているので、必ずしも「繁体字」を使用しているとは言い難い。もちろん、簡体字は使用していないのだが…。
最近聞いた話だが、大学の中国語の授業は、ほとんどが「簡体字」を使用したテキストを使っているそうだ。中国語教育の伝統ある大学(たとえば、二松学舎大学)では、「繁体字」を使う授業もあると聞く。
しかしながら、台湾で発行された「繁体字」のテキストは、あまり売れず、台湾書籍を扱う書店は、閑散とした有様のようだ。
これがその一冊なのだが、繁体字は風格があるのがよく分かる。第一、漢字の成り立ちがよく分かるし、書道をやるなら繁体字に限ることだろう。
繁体字が風前の灯火という現状にあるのは、日本の知識人にも大いに責任がある。「新中国」「人民中国」を礼賛するあまり、中国文学者さえもが、「簡体字」に肩入れした歴史があるからだ。中国農民の9割は文盲と言われたなかで、難しい繁体字を彼らに教えることは困難とされ、簡体字が作られたわけだが、漢字の本来の成り立ちなどお構いなしに省略化した結果、表意文字としての意味をなさなくなった漢字が増えてしまった。「人民」が主人公になれば、「文化」は廃れるという、いい見本のようなことになったのだ。
1945年当時、台湾の識字率は、ほぼ100%近かったと言われる。これは、日本の文教政策の功績だった。蒋介石の国民党が台湾に逃れてきたとき、幸いにも彼らは「繁体字」を捨てる理由はなかったのだ。台湾にあっても「中華」を自認する彼らは、むしろ「繁体字」を守ることが使命だと感じたに違いない。
だが、政治、経済などの面で、大陸中国が圧倒的な存在感を示すようになった今、漢字もその影響から逃れることは難しいのかもしれない。
歴史に翻弄される繁体字の運命は、これからどうなるのだろうか?