先日、89歳で亡くなった評論家・加藤周一氏の「加藤周一 1968年を語る」(NHK教育TV)を見た。
1968年は、確かに特別な年だった。「プラハの春」と言われたチェコスロバキアの「人間の顔をした社会主義」に対して、ソ連は7000両の戦車を投入した。当時、ウィーンに在住していた加藤氏は、そのときの経験を「言葉と戦車」(1969年)として著した。
アジアでは、中国の文化大革命が内乱の様相を示し、またベトナム戦争が「北爆」にエスカレートした年でもあった。
あらゆることが急速に変化する時代でもあったので、フランスの学生運動、米国のヒッピー文化など、体制にNOを突きつける運動も顕著だった。日本では、全共闘運動が全盛を迎え、時を経ずして東大・安田講堂の陥落と突き進んだ。
晩年の加藤氏は、1968年の社会事象を歴史の中で意味づけていく。だが、TVのインタビューを見る限りでは、「わかりやすい」というか、かなり平凡な議論をしているように思われた。
ふと考えたのは、「言葉と戦車」の「言葉」の方だ。「戦車」は、昔も今も物理的強制力を備えているが、「言葉」は、この40年間で大きく変質したのではないか。
加藤氏のような超エリートの「解説」を待つまでもなく、一般大衆が、インターネットの世界に入り込むことで、容易に情報を取得できるようになり、同時に自己の主張をアウトプットできるようになったのだ。こんなことは当たり前と言われるかも知れないが、1968年を出発点に考えてみると、出版やTVとは全く異なる、革命的なメディアが出現したことが分かる。
1968年のように戦車で放送局を占拠しても、もはや情報を統制することなどできない。
中国では「零八憲章」がネット上に公開され、中国政治の民主化を求めている。これを中国当局は必死に鎮圧しようとしているようだが、2008年の今、どれほどのことができるというのか。