澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

畳の上で死ぬということ~近隣諸国の死者の意味

2008年12月14日 16時37分02秒 | Weblog

田母神氏の発言以来、村山談話や自衛隊の文民統制の問題がクローズアップされている。
「平和憲法」のおかげか、日米安保による米軍の庇護のためか知らないが、第2次世界大戦後、日本人の戦死者や紛争による被災者は皆無だった。

ところが、東アジアの近隣諸国は全く違う。



朝鮮戦争の死者<

  1950年6月に始まった朝鮮戦争で、北朝鮮の死者は250万人、韓国市民100万人、韓国軍人5万人、米国人5万4000人、中国軍人100万人。(J・ハリデク「朝鮮戦争」岩波)南北朝鮮の合計死者数が355万人というから、太平洋戦争での日本人死亡者221万人をはるかにうわまっている。アメリカ軍人の死者も、ベトナム戦争の時より1万人も多いチベット人虐殺

  1950年に中国に併合されたチベットでは、数十万人の住民が殺された。アジア監視委員会では「1950年から1980年に百万人を超えるチベット人が不自然な死を遂げたと推定される」と報告されている。(タッド・シュルツ「1945年以後」)
 

ベトナム戦争>

  1973年1月28日、南ベトナム全土で停戦が発効。アメリカ軍の死者46000人、重軽傷者303000人。南ベトナム軍民の死傷者は300万人以上。<>

 

カンボジア内戦<

  ポルポトのクメール・ルージュ政権は1975年のアメリカ軍撤退後の4年間に、300万人の朝鮮戦争の米兵死者数3万7千人に下方修正(読売)


 

1947 2・28 台湾 「2・28事件」 蒋介石の国民党軍が2万8千人の市民を虐殺。
1966-76年 中国・文化大革命で2,000万人が虐殺される

 
この60年を見ただけでも、こんなにも人命が軽く扱われてきた。特に中国では、中国共産党の暴政により、まともな知識人や宗教家は根絶やしにされた。ジョークだとは思うが、ここまで生き抜いてきた中国人は、みんな”悪人”ばかりだという話を聞いたことがある。悪人はふてぶてしく生き残ることができるのだ。


「平和」「人権」などときれい事を言い続け、隣国に譲歩を重ねる「ひよわな」日本は、いずれ呆然とする目に合わされる日が来る。

田母神発言を偉そうに批判する「市民」たちは、本当に畳の上で安楽にその死を迎えられるのだろうか? 

 

 



 


弁護士の時代がやってきた

2008年12月14日 14時05分54秒 | Weblog

弁護士の時代がやってきた……
こういうと、大阪府知事になった橋下弁護士をはじめとする、タレント弁護士の”活躍”のことと思われるかも知れないが、そうではない。
何でも法律問題としてしまう昨今の風潮は、言うまでもなく伝統的な家族関係、人間関係の崩壊を物語っている。

私の周囲では、仏教の総本山に墓があるために、嫁いだ妹から「墓の分与」を要求された、気の毒な人がいる。その妹は、家族会議で話し合い、「あの墓なら夫も娘も入りたいと言っている」と言って、分与を公然と要求したそうだ。実父の葬儀で墓に行き、家族全員が「ステータスがある」と思ったそうなのだ。その理由は、近くに日活の大スターだったI・Yの墓があるということなのだ。そんな理由で、実家の墓を乗っ取りたいと考えたそうなのだ。墓の乗っ取りが困難だと察知すると、次は、さらなる金銭要求を突きつけてきているそうだ。

こういう事例に介在するのは、今やどんな案件にも口を出す、悪徳弁護士だ。まともな弁護士なら相手にしない、このような案件でも、引き受ける悪徳弁護士は存在する。

近々、裁判員制度がいよいよ導入される。これまで、司法制度に素人が介在するのは、家庭裁判所の調停委員くらいだった。調停員は、言わば「盲腸」のようなもので、無能な人でもつとまる仕事だった。だが、裁判員は違う。刑事裁判を担当するのだから、死刑判決に関与することもありうるのだ。

法科大学院と裁判員は、日本社会を”米国化”しようとする策謀の最終仕上げに思えてならない。それは旧来の人間関係の破壊に他ならない。
上記の問題で、悪徳弁護士と素手で渡り合った知人は、偉いというか、ドン・キ・ホーテと言おうか、とにかくご苦労さまではあった。