学習指導要領が改訂され、高校の英語の授業は、すべて英語で行うという方針が打ち出された。
【学習指導要領】「能力アップ」「教師も負担」英語で授業に期待と不安
文部科学省が22日に公表した高校の新しい学習指導要領案で、英語の授業は、基本的には英語で行うことが盛り込まれた。英語のコミュニケーション能力を高める狙いで「英語力は必ずアップする」との期待は大きい。一方、複雑な文法は日本語で教えることも認められているとはいえ、「生徒にも、そして教師にも負担がかかる」と現場からは戸惑いの声も漏れてくる。
北海道立北海道旭川北高校は現在、全学年で、英語の授業をすべて英語で行っている。平成17年度に文部科学省から英語指導の重点校に指定されたのがきっかけだった。
授業で和訳は行わない。難しい文章は、教師が易しい英語に言い換えたり、文脈から推測させたりする。文法は使いこなせるまで徹底的に練習させる。「長文は100%理解できなくても、60%分かればいい。あとは想像すれば十分」と英語科主任の松井徹朗教諭。
教師側も授業の進行マニュアルを英語で作成する。毎年、模擬授業をしては指導法を見直している。もちろん生徒以上に戸惑いはあった。「それまでの訳読中心の授業から、準備も進め方も変えなくてはならない。教師の頭の中を切り替えることが一番大変だった」と、松井教諭は振り返る。
4年間にわたる取り組みで、確実に生徒の英語力は向上した。1年間の授業で模試での偏差値が約5ポイントも上昇した。松井教諭は、こうした指導法の効果を強調する。
「3年生では英語でプレゼンテーションができるぐらいには上達できる」
一方、英語での授業に不安を感じている教諭も少なくない。都立高で英語を教える40歳代の女性は「どのような授業になるのか、イメージできない」と話す。
大学時代に米国留学の経験はあるが、日常会話で授業が成り立つのかと思う。何よりも、文法中心だった指導法を一から見直さなくてはならない。学習指導要領案では、複雑な文法は日本語で教えることも認めているが、「確かに、英語は話すことで身につく。しかし、試験英語に慣れた今、新しい指導法に取り組むことは大きな負担になる」。
別の50歳代の男性教諭は生徒への負担を懸念する。「底辺校では、生徒がついてこれない可能性もある。どこにレベルを据えればいいのかが見えてこない」。そもそも、「自分に英語で授業をするだけの技量があるのか…」。不安は尽きない。
ここで議論されているのは、相変わらずの「教養英語」か「実用英語」かという話だ。
「試験英語」「教養英語」では、生の英語が話せない、「国際人」にはなれないと、ずっと言われてきた。それは、果たして本当なのだろうか?
日本人が外国語習得が下手と言われるのには理由がある。①漢字文化圏に属し、「読み書き」が主流だったこと、②島国であるため、外国人との日常的な接触が少ないこと、③欧米列強の植民地とならなかったことだ。
これらのことを考えれば、「英語が下手」であることを特に卑下する必要もない。理科や数学が国際水準以下では困るけれども、外国語習得は能力の問題ではなく、習得する環境によるのだ。
自分の高校時代を振り返ると、東大英文科を出た教師(後に国士舘大学教授)とICU(国際基督教大学)大学院出身で後に米国ケント大学に留学した教師(いずれも男性)に教わったのだが、現在のように、オウム返しにヒアリングを強要されるようなことはなかった。特に、ICU出身の教師は、ペンギンブックスの哲学書(仏陀に関する本)を自分でタイプ印刷して、副教材とした。生徒にとっては、その英文和訳は苦行に等しかったが、後になってみると「宗教」「比較文化」等の初歩を学ばせてくれたのだと思った。
これからの高校英語が、「話し方」中心となり、NOVAのような授業になるとすると、「読み書き」の能力は下がるに違いない。インターネットを使いこなすには、「読む」能力が必要であるのに、これ以上学力が下がっていいのかどうか疑問である。また、「英文法」のような「理論」がなおざりにされる結果、国語の学習能力も低下するのではないかと思われる。外国語の習得には、国語力が必要であり、彼我の文法比較といった観点も欠かせない。
英語教師を選ぶ視点が、どれだけネイティブに近く話せるかとなってしまうと、それも問題となる。薄っぺらな英会話が上手でも、専門的な知識や自国語に対する理解が不足しているならば、良い教師にはなれないだろう。
物理や数学に秀でている、真に優秀な人材にとっても、人前で「オウム返し」のような英会話が好きになれるのだろうか?「英会話」が嫌いなために、東大や東工大に入れないという理科系秀才が出てくることも考えられるが、たかが外国語のために優秀な理科的能力を評価されないのでは、もったいないのではないか。
NOVAのような英語授業を公教育でするのならば、先だってしなければならないことがある。それは、英語を大学入試科目から外すことだ。