澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

井上ひさしと母校・上智大学

2010年04月12日 23時06分04秒 | 社会

井上ひさしが亡くなった。
「ひょっこりひょうたん島」から「吉里吉里人」までは、結構、楽しませてもらった。晩年の政治的発言にはついていけなかったが…。

(天国に召されるのですか?…

この人の経歴は、とても変わっている。幼いときに義父から暴力を受けて、孤児院に預けられた。結婚後は、自らが妻に対して家庭内暴力をふるっていたことが暴露される。
東北大学などの国立大学受験に失敗し、上智大学独文科に行くが、2年間休学して他大学を受験し、また失敗。その後、フランス語学科に転部して、ようやく卒業する。このあたりは、遠藤周作とよく似ているのが面白い。

遠藤は、上智大学に入学した事実を履歴から消し去ろうとしていた。狐狸庵先生は、あくまで慶應大学出身でなければならなかったのか。その理由は、両大学のネームバリューの差と同時に、彼の母親が厳格なカトリック信者であったことにある。
井上もまたカトリック修道院に預けられ、仕方なくカトリックの大学に進まねばならなかった。この苦悩と苦痛は、遠藤と共通するものがあったはずだ。

井上ひさしは、晩年、憲法擁護などかなり政治的発言を繰り返した。世の中の座標軸が右にシフトするなかで、朝日新聞の残党が立ち上げた、かの有名な「週刊金曜日」にかかわったのだから、立派な左翼になったというべきかも知れない。

私の勝手な推測になるが、東大出身が主流の「進歩的文化人」が衰退し、井上のようなマイナーな出自の者にもお鉢がまわるようになった。そこで、晩年は念願の「岩波文化人」「朝日文化人」になって、ようやく永年の学歴コンプレックスから解放されたのかも知れない。ちょっと、意地悪な見方ではあるが、一面の真実であることは疑いない。