澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

養護学校は厚生労働省に移管しよう!

2008年12月06日 13時33分41秒 | 社会
養護学校が最近「特別支援学校」と看板替えしているが、知人から気になることを聞いた。

知人によると、養護学校の教員は、養護学校手当があるため、ふつうの教員より1割も給料が高いのだそうだ。その手当は、退職時にも加算されるので、養護学校の一般教員の退職金は、都道府県庁の課長職よりもはるかに高くなるのだそうだ。

公務員の諸手当見直しが進む中、この養護手当は手つかずのようなのだ。福祉関係の施設・寄宿舎などで、養護学校の教員と同じような仕事をする「指導員」という職があるが、この指導員は一般行政職と同じ給料なのだ。ということは、養護学校の教員給与は、この指導員より20%も高いことになる。退職時に限っても、おそらく500万円以上の差があるのではないかと思われる。

文部科学省の管轄下の養護学校であれば手厚く保護され、厚生労働省傘下の福祉施設では安月給で、「民営化」の恫喝におびえながら仕事をする、この両者の違いはおかしいではないか?

「特別支援学校法」等の教育法の網をはずして、養護学校と福祉施設の一体化を図るべきなのではないか。これによって「教育」という大義名分に隠れた、養護学校の甘さが明るみに出て、結果的にはいい方向にむかうのではないか?

養護学校の生徒一人あたりの経費は、年間1300万円以上に及ぶのは知られているのだろうか? リストラ、財政難であえぐなか、こういう「聖域」にも手を付けるべきだと思うが、誰も火中の栗を拾おうとはしないのだ。 

シー・シェパードに対し毅然たる態度を!

2008年12月04日 10時38分26秒 | Weblog
反捕鯨団体「シー・シェパード」が、日本の調査捕鯨船を妨害するために、オーストラリアを出港したというニュースを見た。
画面には「旭日旗」にドクロを描いたものや、「サムライ」に×を付けた旗が映し出された。

これまでにこの「シー・シェパード」の襲撃により、複数の日本人船員が怪我(けが=麻生さん、読めますか?)をしている。だが、この団体のメンバーは「日本海軍が来ても負けないぜ」みたいなことを叫んでいた。

「シー・シェパード」の映像から読みとれるのは、極端なイデオロギーから生じる人種偏見、もっと言えば日本人に対する憎悪だ。
白人は何故、牛を食用とするのか? 近年、何故、平気で「スシ」を食らうようになったのか? 我々日本人からすれば、問いただしたいことは山ほどある。

日本人を格好の標的にするのは、日本が「反撃」できないことを知っているからだ。もし、相手が中国や韓国であれば、こういう白人たちも少しはビビルことだろう。韓国は、海賊行為の果て、「竹島」を実質占拠としてしまったし、中国は尖閣列島を狙っている。これに対し、日本は「平和」「平和」といって引き下がるばかりなのだから、足下を見られても当然だ。

海上保安庁は、ぜひ毅然たる態度をとってほしい。「シー・シェパード」は、海洋法上、単なる海賊に過ぎない。相手が「白人」であっても遠慮する必要はない。不法難民と同じように扱えばいいのだ。

軍艦マーチのすべて

2008年12月03日 01時39分29秒 | 音楽・映画
2000年、キングレコードから発売された「軍艦マーチのすべて」というCDを聴いてみた。



この曲の作曲者である瀬戸口藤吉生誕130年記念と題されていて、軍楽隊からエレキバンド、はたまたチンドン屋の演奏によって、軍艦マーチばかり26曲が収録されている。





あの三島由紀夫が読売日響を指揮したライブ演奏、世界一の吹奏楽団と言われたフランスのギャルド・レピュブリケーヌ、寺内タケシとブルージーンズなどの演奏とともに、「ミャンマー国軍」やバリ島の楽団による珍しい演奏も含まれている。
ミャンマーやインドネシアでは、今なお、この曲が歌われ、演奏されていることをもこのCDによって知った。
日本では、もうパチンコ屋でも演奏されることはなく、右翼の街宣車が奏でるくらいだろうか。

アジアでは記憶されているこの曲を、日本では聴かれなくなったというのも皮肉な話だ。
この曲のルーツは、旧制盛岡一中(現・岩手県立盛岡一高)の応援歌にあるようだ。


帝国海軍兵士が残した絵

2008年12月02日 18時15分58秒 | 歴史
田母神・元航空幕僚長は、相変わらず自説を曲げないで頑張っておられるようで、ご同慶の至りだ。



これは、かつて学徒出陣した父が残したスケッチ。



これは海軍の爆撃機らしい?




これを書いた父は、もういない。
ただ、似顔絵は残っている。



誰のために何のために戦ったのか? 我が国は、中国や韓国に罵倒されるようなことばかり本当にしたのだろうか?
何も答えぬまま、父は黙って逝ったが、その問いは私の胸に突き刺さったままだ。