たまに散歩のコースにする「さざえ堂」へ行った。我が家から東へ1キロほどにある。
さざえ堂の雪景色のスケッチを届けに、飯盛山主の飯盛正徳さんを訪ねた。
先日、隣組のお年寄りのお葬式があり、その夕食お使いの席で隣り合わせ、スケッチの話しになった。
30数年前のスケッチ 「雪のさざえ堂」
今朝の気温は-1℃、雪の予報もあったが穏やかな日だったが気温は低かった。
ついでながら、久々にさざえ堂から白虎隊墓地へお参りしてきた。
3連休でもあり、結構観光客があった。
厳島神社
洞門 さざえ堂を見上げる
東側から 西側から
戊辰戦争で自刃した白虎隊士の殉難忠節に対し第9代藩主松平容保公の詠んだ 弔辞の歌碑
幾人の涙は石に注ぐとも その名は世世に朽ちじとも思う
終わりを告げるトンボの季節 白虎隊士の望んだお城を遠望、戊辰150年に思いを馳せた。
これまで存じ上げなかった飯盛さんだが、飯盛山と飯盛家の関連をネットで知った。
あらためて、さざえ堂について認識を新たにし、歴史の一端を知る機会となった。
何かすっきりした感じだ。
(参) ○「さざえ堂と飯盛家」 sazaedo.webcrow.jp/sazaedoandiimori/
○ 会津さざえ堂:奇想天外な「らせんの迷宮」 www.nippon.com/ja/guide-to-japan/gu900008/
帰りは、雪囲いを終えた短大構内を通った。
飯盛山を振り返ると、背炙り山の風車群が見えた。黄色いメタセコイヤが箒のように秋の終わりを見せていた。