![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/a2/6e6c644dc75e739803dd34ff4ee2f3ee.jpg)
新島八重 (写真:ウィキペディアより)
3/21福島民友新聞に新島八重の関する記事(○印)が幾つも載っていた。
○「”会津人”の思い忘れず」の見出し、晩年の新島八重が、晩年京都の金戒寺の敷地内にある「会津藩殉難者墓地」で会津の名士たちとともに会津藩士を墓参した写真が見つかったという。昭和3年11/17の撮影の総勢62人の記念写真が載っていた。
前列には松平家の当主を中心に、山川健次郎、柴五郎、林権助、新城新蔵、松江春次などとともに、新島八重が写っている。日本の歴史に名を刻んだ会津の先人たちだ。
○「京都会津会に参加」「離れても郷土愛強く」の見出しの関連記事、八重のふるさとを思う気持ちを伝えていた。
また、別の項に、○「在京会津人のこころ支える」、会津会創立100年・同郷の思い(上)の記事も。
またまた、○「若松、京都が交流宣言」は、大河ドラマ「八重の桜」が縁で会津若松市と京都市が、観光や教育面での交流を加速させるという。
そして、 ○「「容保桜」苗木 ~若松へ京都から、両市の架け橋に~」の記事は、昨年3月25日に届く予定だった桜の苗木を8月に届くという。
「容保桜」がある府庁本館は幕末、京都守護職上屋敷があったことから、守護職にあった最後の会津藩主松平容保からの命名だ。一度見てみたいと思う。
そして、今朝の新聞に、○「「容保桜」観桜会」、会津の商工会が「容保桜」を眺める観桜会を、京都府などと共同で開催するとの記事があった。今年は容保が京都守護職を拝命して150周年の記念の年だそうだ。
来年のNHK大河ドラマは、新島襄の妻・八重の生涯を描く「八重の桜」が放送される。普段朝ドラは見るが、大河はあまり見ていない。来年は見てみたい。
NHKオンラインを覗いた。
*******************************
「国敗れてもその地で育まれた会津武士道で、生涯自分の可能性に挑み続け、すべての人の幸福を願った会津女・新島八重と、仲間たちの愛と希望の物語。「東北・福島に根付く不屈のプライド」で日本にエールを送る。」とある。
■主人公・新島八重とは
会津藩の砲術師範であった山本権八・佐久夫妻の子として生まれる。戊辰戦争時には断髪・男装に家芸であった砲術をもって奉仕し、会津・鶴ヶ城籠城戦で自らもスペンサー銃を持って奮戦した。後に「幕末のジャンヌ・ダルク」と呼ばれる。戊辰戦争が始まる前、但馬出石藩出身で藩校日新館の教授をつとめていた川尚之助と結婚したが、籠城戦後別れる。維新後、兄・覚馬を頼って上洛。そこで、新島襄と出会い結婚。また、女は男に従うことが当然視された時代、豪放で周囲からは勝手気ままに見える八重の生き方は世間からは「天下の悪妻」とも言われた。 晩年は日清戦争、日露戦争に篤志看護婦として参加。功績により昭和3年(1928年)、昭和天皇の即位大礼の際に銀杯を下賜される。その4年後、87年の生涯を終える。
*******************************
京都御所の西南に近い辺りでしょうか、丸太町通りを少し北へ入って行きます。
たくさんの人でしたので門だけ少しくぐらせていただき入りませんでしたが、水曜と土曜日には公開されているのを知りました。
今度一度、と思います。
観光や学問の交流記事はこちらでも読みました。
それはみごとな異空間、別天地のような雰囲気で容保桜を初めとして楽しめます。是非ご覧いただきたいです。
驚くほどいろいろな顔を持った八重さんですね。一人の女性としての生き方、関心あります。
会津女性の典型と言われる八重子さんの生き方をじっくり見てみたいです。
ドラマは「被災地・福島県を舞台に」との理由かららしいですね。会津の先人が、原発や風評被害に苦しむ県民を救ってくれるドラマになって欲しいと思います。また、切ない戊辰のころが浮かびます。
ありがとうございます。
八重さんはここで亡くなられたようです。
お二人のお墓は哲学の道から近い若王子神社脇から登る山頂にあるのだとか。
確か、ずっと以前の日本テレビ系の年末時代劇「白虎隊」では故・田中好子さんが八重の役を凛々しく演じておられました。
自分の生き方を立派に通して、人々のために尽くした彼女は尊敬に値しますね。
今年の大河も大変面白いですが、来年は更に楽しみです。
やよいさんも会津女性でしたね。
ときどき、小刻みにドラマ白虎隊をYouTubeで
見ています。その都度、時の流れに、先人のつらさを思います。
こちら今朝起きる銀世界、寒い冬に逆戻りです。