今朝、探し物があって図書館へ行く途中、近道をしてつばくろ児童公園の脇を通った。そこに「まちに街に歴史あり」*)の観光案内板があり、公園付近が柴五郎生誕の地であることを知った。
私が彼を知ったのは「ある明治人の記録―会津人柴五郎の遺書 」( 中公新書 石光真人編著)を読んでからだ。涙無しには読めない、心から感銘を受けた本の1つである。 その本の 第1章『柴五郎の遺書』の「血涙の辞」をいつしかそらんじてしまった。
「故郷の山河を偲び、過ぎし日を想えば心安からず、老残の身の迷いならんと自ら叱咤すれど、懊悩流涕やむことなし」の五郎翁の文面だ。その本の余白に、【胸が詰まる思いで読了、懊悩流涕、正に止むことなし】と読了のメモ書きがあった。
その後、静かな苔むす墓所、小田山の麓の恵倫寺に柴五郎を訪ね、翁の、この切ない思いをつぶやき手を合わせことがあった。
戊辰戦争では家族の多くが自刃したが、五郎は残された家族とともに新天地である下北の地を踏む。わずか12歳であった。当時の少年の純真な心情、その後の斗南での餓死との戦いを読むとき、いつも切なく胸が詰まる。
百年も前の戦争へのこだわりは、会津人の特別な想いであろう。
小椋佳の歌「愛しき日々」には「もう少し時が緩やかであったなら」とある。誰を恨むではないが、いつも会津の惨憺たる運命を想わざるを得ない。
会津若松は歴史の町、観光の地でもある。市内には気づかなかった歴史の足跡があちこちにある。我が家の近くにはあの白虎隊士の墓のある有名な飯盛山や、隊士達が仮埋葬された妙国寺、戊辰戦争のとき藩主松平容保が白虎隊に出陣を命じた会津藩の本陣などは、ときどきの散歩コースでもある。
この歳になって、故郷の歴史を学びたいと思っている。まずは関心の高かった戊辰戦争に関わる歴史場面を訪ねたいと思う。そして先人に学ぶことがあればと思っている。
*)会津の先人ゆかりの市内各所に、案内板「まちに歴史あり」が立てられ、先人を紹介している。
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