
【土門 拳 記念館】
昨日は朝から梅雨を思わせる雨降りだった。時折みぞれに変わるが、寒さもそれほどではない。
「文藝春秋」の四月号を見に、短大図書館へ行った。大学はもう春休みに入り、図書館も貸し切りだ。年度末でもあり、学校ではいろいろな工事が入り、春休み特有の雰囲気だった。
「文藝春秋」を月に1度楽しみにしている。ゆっくりソファーに座ってのくつろぎのひとときだ。4月号の広告で、2月にエルサレム賞を受賞した村上春樹のスピーチに関する記事を読みたいと思っていた。独占インタビュー「僕はなぜエルサレムに行ったのか」だ。
グラビアの生誕100年「土門 拳が見た日本と日本人」を興味を持ってみた。そこには、【一貫して日本の文化の本質を追い求めた彼が写し取った「原日本人」の肖像】とあり、あの土門らしい作品が載っていた。
以前、山形の酒田市に土門拳記念館を訪ねたことがある。そのときの感動を思った。
家に戻り、その際に求めた【土門拳の昭和②「こどもたち」】を書棚から出してきてあらためて鑑賞した。もう一度訪ねてみたいと思っている。
以下は、10年前の感動。
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酒田・土門拳記念館での感動 1999.9
待ちかねて開館時間の九時前に土門拳記念館を訪ねた。丁度、土門拳生誕九〇年の特別企画展「古寺巡礼」と「筑豊のこどもたち」を鑑賞することができ、あらためて写真の意義を見つめ直した。特に戦後まもなくの「こどもたち」の写真には感慨深いものがあった。それは当時の自分の思い出に重なる懐かしさと、反対に思い出したくない脳裏に残る風景でもあった。同じ年頃の自分が確かにその中にあり、昭和三十年頃の自分の家庭での生活はどうだったか、かすかな記憶をたどった。
写真の素晴らしさは、どれだけ見る者の心に響くかだと思う。仏像の心やこどもたちの心が伝わって、作品の前で込み上げる感動があった。説明のパネルにある、「実物以上に実物である写真が本当の写真」「写真は肉眼を越える」などの土門拳の文章をすべての作品が如実に示していた。日本人の心を写しきった彼の芸術を静かに鑑賞し、充実した満足感に浸ることができた。
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昨日は朝から梅雨を思わせる雨降りだった。時折みぞれに変わるが、寒さもそれほどではない。
「文藝春秋」の四月号を見に、短大図書館へ行った。大学はもう春休みに入り、図書館も貸し切りだ。年度末でもあり、学校ではいろいろな工事が入り、春休み特有の雰囲気だった。
「文藝春秋」を月に1度楽しみにしている。ゆっくりソファーに座ってのくつろぎのひとときだ。4月号の広告で、2月にエルサレム賞を受賞した村上春樹のスピーチに関する記事を読みたいと思っていた。独占インタビュー「僕はなぜエルサレムに行ったのか」だ。
グラビアの生誕100年「土門 拳が見た日本と日本人」を興味を持ってみた。そこには、【一貫して日本の文化の本質を追い求めた彼が写し取った「原日本人」の肖像】とあり、あの土門らしい作品が載っていた。
以前、山形の酒田市に土門拳記念館を訪ねたことがある。そのときの感動を思った。
家に戻り、その際に求めた【土門拳の昭和②「こどもたち」】を書棚から出してきてあらためて鑑賞した。もう一度訪ねてみたいと思っている。
以下は、10年前の感動。
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酒田・土門拳記念館での感動 1999.9
待ちかねて開館時間の九時前に土門拳記念館を訪ねた。丁度、土門拳生誕九〇年の特別企画展「古寺巡礼」と「筑豊のこどもたち」を鑑賞することができ、あらためて写真の意義を見つめ直した。特に戦後まもなくの「こどもたち」の写真には感慨深いものがあった。それは当時の自分の思い出に重なる懐かしさと、反対に思い出したくない脳裏に残る風景でもあった。同じ年頃の自分が確かにその中にあり、昭和三十年頃の自分の家庭での生活はどうだったか、かすかな記憶をたどった。
写真の素晴らしさは、どれだけ見る者の心に響くかだと思う。仏像の心やこどもたちの心が伝わって、作品の前で込み上げる感動があった。説明のパネルにある、「実物以上に実物である写真が本当の写真」「写真は肉眼を越える」などの土門拳の文章をすべての作品が如実に示していた。日本人の心を写しきった彼の芸術を静かに鑑賞し、充実した満足感に浸ることができた。
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