都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
恵方巻きの歴史は江戸時代末期~明治時代の初期まで遡り、大阪・船場の商人による商売繁盛の祈願事として始まったといわれる。旧暦では節分が大晦日にあたり、当時は、前年の災いを払う厄落としの一種として、年越しに際し行われたらしいのです。
しかしこの習慣は明治時代に一旦廃れ、昭和50年代に復活する事となります。
恵方巻きが現在の形で復活したのは、1997年に大阪海苔問屋協同組合の若手でつくる「大阪海苔昭和会」が節分の日に道頓堀で実施した恵方巻きの早食いコンテストがきっかけで始まったのだそうです。
ですから、比較的新しい風習で、最近までは関西だけのものでしたが、スーパーやコンビニ、テレビの影響で瞬く間に全国に広がったといいます。
方位神の一つである「歳徳神(としとくじん)」はその一年の福徳をつかさどる神とされています。この歳徳神がいる方角は全てにおいて大吉とされ、この方角を「恵方(えほう)」と呼びます。恵方は別名「吉方(きっぽう)」「明の方(あきのかた)」等ともいわれます。
恵方はその年の暦の「十干」によって定まります。その年の暦と恵方との対応は以下の通り、5年周期・4方位になります。
○甲・己の年:寅と卯の間(「甲」の方…およそ東北東)
○乙・庚の年:申と酉の間(「庚」の方…およそ西南西)
○丙・辛の年:巳と午の間(「丙」の方…およそ南南東)
○丁・壬の年:亥と子の間(「壬」の方…およそ北北西)
○戊・癸の年:巳と午の間(「丙」の方…およそ南南東)
今年は庚寅年ですから、「庚」の方角、およそ西南西になります。
したっけ。
りっ‐しゅん【立春】
二十四節気の一。節分の翌日。2月4日ごろ。暦の上で春がはじまる日。《季 春》「―の米こぼれをり葛西橋/波郷」
立春に禅寺やその檀家の門の左右にはる紙札の文句。また、その紙札。《季春》
辞書:大辞泉
立春は、冬至と春分の間の2月4日頃に当たります。また、この日から雨水(2月19日頃)までの期間を立春と呼ぶこともあります。立春は冬と春の分かれる節目の日である「節分」の翌日で「寒さがあけて春に入る日」いわば春の初日です。
旧暦では一年のはじまりは立春からと考えられていたため、立春を基準に様々な決まりや節目の日が存在しています。
春とは立春から立夏の前日(節分)までを言います。冬至と春分の中間にあたります。この頃、暖かい地方では梅の花が咲き始めます。
古来は、自然の景色の変化から季節の移り変りを把握する「自然暦」を使用していました。飛鳥時代に中国から二十四節気が伝えられると、冬至が年の分割の起点と考えるようになり、立春を一年の初めとして暦が作成されるようになりました。
明治時代に改暦が行われるまでは、立春は正月とほぼ同じ頃に重なっていたため、現代でも正月に「早春」「迎春」や「新春」といいます。
因みに2010年2月4日は、旧暦平成21年12月21日です。
立春の早朝、禅寺では厄除けのために門に「立春大吉」と書いた紙を貼る習慣があります。この文字は、縦書きすると左右対称になり一年間災難にあわないというおまじないです。
立春の前日は節分である。立春から数えて88日目を八十八夜、210日目を二百十日、220日目を二百二十日と呼ぶ。
また、立春以降に初めて吹く南よりの強風を春一番(はるいちばん)と呼びます。
したっけ。