都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
今回は「亜麻」を描きました。
更別村の畑で亜麻の花が見ごろを迎えているそうです。
昔は亜麻の栽培が盛んで、私が子どもの頃は市内に亜麻工場がありました。
今は市役所が立っているあたりから北側一帯の広い工場でした。
あの独特の臭いを今も覚えています。
明治40年 (1907年)帝国製麻(株)帯広工場が操業を開始
昭和16年(1941年)に帝国繊維と改称
いつ閉鎖したかは、調べ切れませんでした。
1960年代後半までは、十勝に工場があったと書かれていますが、何処だったのかはわかりません。
更別の畑で亜麻の花が見頃 2014/07/08 10:13 【更別】村内の畑作農家・小谷広一さん(63)=上更別125=の畑で、亜麻の花が見頃を迎えている。かつて北海道で栽培が盛んだった亜麻の復活に向けた取り組みが進む中、薄紫色の小さな花が一面に咲き誇っている。
亜麻は「リネン」など繊維用として1960年代後半まで十勝でも栽培されていたが、化学繊維の普及で姿を消した。小谷さんは6年前に栽培を始め、昨年は管内の農家や道内外の企業と、亜麻やナタネの搾油を行う会社も立ち上げた。
今年はこれまでで最も多い7・5ヘクタールで、ヨーロッパから導入した3品種を作付けた。花は例年より早く6月下旬に咲き初め、今月下旬まで見頃が続く。午前中で散り、同じ株の新たなつぼみから次の花が咲く。
音更町内に搾油施設を整備中で、8月に収穫して食用油を搾るほか、実はパン用、茎は繊維用として活用する。
観光案内の冊子に取り上げられたこともあり、時折見学に訪れる人も。小谷さんは「新しい作物に挑戦するのは大変だが、頑張りたい。きれいな花なので自由に見てもらえれば」と話している。(眞尾敦) |
昭和29年(1954年)の帯広市の地図を発見! 「亜麻工場」が載っていました。
私の記憶は間違いではなかった。
工場用地の譲渡と官公庁・オフィス団地の造成 帯広市役所(昭和33年1月竣工) 帯広の帝国製麻株式会社の工場(後の中央繊維株式会社帯広工場)用地は、長年にわたって西5条通りの西側南4丁目から南8丁目にかけて広い地積を占めていたが、市の発展につれて敷地の開放が叫ばれるようになった。その一部は、市役所新庁舎(昭和33年竣工)敷地となり、次いで市民会館建設用地(37年開館)となって40年(1965)には工場用地全部が市に譲渡された。ここは、官公庁・オフィス団地(開広団地)等として造成され、市役所・市民会館をはじめ勤労青少年ホーム・図書館・婦人センター・勤労者福祉センター・帯広税務署・帯広財務部・厚生病院・帯広建設会館などの近代的建物が次々に建設されて付近一帯の様相は一変した。 |