都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
今回は「金魚」を描きました。
夏らしく、金魚を描いてみました。
子どもの頃は、夏になると金魚売のおじさんが天秤を担いでやってきていました。
「金魚~~~え~~金魚」
今思い返すと、懐かしい風景です。
約1700年前(晋の時代:西暦265年~419年)の中国南部。フナの突然変異である赤いフナ(緋鮒)が発見され、そのヒブナが金魚の祖先だと言われています。フナにもいくつもの種類がありますが、近年の研究で中国にいる「ヂイ」という鮒の一種が金魚のルーツであると特定されたそうです。 質問一覧 金魚の学名はCarassius Auratus (カラッシウス・アウラトゥス)で、スウェーデンの博物学者で植物分類学の父と呼ばれるLinne, Carl von(カール・フォン・リンネ1707-78)が1758年に定めました。 Carassiusが「フナ」、auratusが「黄金の」という意味になり学名の直訳は「黄金のフナ」となります。
-日本に金魚が渡来したのはいつ? 金魚の日本渡来時期については諸説ありますが、室町時代中期の文亀二年(1502年)、大阪の堺に金魚が伝来したとする説が、現在では一般的です。江戸時代の識者たちは、元和年間(1615~23年)に初渡来したという「元和年間説」を支持していた人もいたようで、伝来年ははっきりしたことは言えないようです。
-金魚が普及したのはいつ? 江戸時代の前期は、大名などの一部の特権階級・富裕層だけの贅沢な趣味でしたが、元禄時代以降になると武士が副業として金魚養殖を行なうなどをしたこともあり、金魚は一般庶民のところまで普及していきました。浮世絵や俳諧・川柳などにも頻繁に金魚が登場するようになり、金魚は日本人の生活に確実に定着していきました。江戸時代の金魚の浸透ぶりを表す以下の句が残されています。「裏屋住み つき出し窓に 金魚鉢」。
-金魚の呼び名は初めから「きんぎょ」? 江戸時代、金魚の赤い固体を「きんぎょ(金魚)」もしくは「こがねうを」と呼び、白い固体は「銀魚(ぎんぎょ)」もしくは「しろがねうを」と呼んでいた時期がありました。しかし「こがねうを」「銀魚」「しろがねうを」はいつのまにか使われなくなっていき、「きんぎょ」が残ったようです。 |