年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

日本醤油事件 余談①

2007年03月24日 | 福神漬
日本醤油事件 余談①


日本の醤油 川田正夫著のなかに日本醤油醸造の文章があり、巻末に醤研誌 第16巻に載っているので早速醤油の業界団体に電話してFAXにて取り寄せしました。

荏原製作所の創業者畠山一清は明治39年(1906年)に東京帝国大学機械工学科を卒業し、あえて鈴木鉄工所に入社する。経営者の鈴木藤三郎は糖業の事業化で成功後、早造り醤油の事業に着手しており、その醸造工場を作る日本醤油醸造株式会社の技師長に高給で迎えられたが、不正醤油事件とその後の火災で明治43年(1910年)に倒産してしまう。
その頃畠山は、病死した父と長兄にかわって一族を東京に呼び寄せていたため生活を維持するため大会社に再就職を決め、恩師の井口博士を訪ねたところ、ここで、渦巻ポンプの国友製作所を勧められて入社することになる。ところが、国友も舶来品至上主義に負けて、2年を経ずに倒産してしまった。井口博士の遠心力応用の渦巻ポンプは世界が認めていて、当時としては驚異的な揚水成績をあげていた。畠山は自ら実用化を決意し成功し荏原製作所を作った。
 もしこの事件が無かったならポンプの荏原製作所は今と随分違っていただろう。

参考 財団法人日本醤油技術センター所蔵
 醤研誌 第16巻5号 日本醤油醸造株式会社顛末記 中野政弘より
コメント
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