年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

歌舞伎と魚河岸

2008年09月12日 | 福神漬
歌舞伎と魚河岸
魚河岸と吉原が江戸歌舞伎を育てたが明治時代の本を読んでいると京橋大根河岸・神田多町の青果市場の人達が歌舞伎後援をしている記述が目立つのは京橋大根河岸の青果問屋三周の主人の交友の文が明治時代に活躍した芸能人の支援者として文章に残ったためだろうか。また魚河岸の人達のことが明治時代にあまり出ないのは明治のコレラ等の伝染病の流行で度々休業に追い込まれたし武士が幕末からから明治中頃に江戸市内から消えたため消費者が減って不況になったためだろうか。
歌舞伎の解説の本には魚河岸の人達と歌舞伎の関係が記述されているが浅草へ天保の改革(1841年)のひとつとして江戸市中に散在していた歌舞伎三座(中村座、市村座、河原崎座)が移転した時以前のことではないのだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする