男女の仲 山本夏彦著
スキャンダル 今の感覚と明治時代のスキャンダルの感覚は違っていました。いわゆる大新聞は取り上げていないかほんの少ししか取り上げていなかったが庶民を読者層とした小新聞は積極的にスキャンダルを取り上げて時には捏造してまで読者の興味をそそる新聞を発行し赤新聞と言われていて販売部数が増えても軽蔑されていました。
その赤新聞の代表は黒岩涙香の『萬朝報』で新聞の三面にニュースを載せ泥棒・強盗・詐欺・横領・不倫の記事が中心でした。
特に『弊風一斑蓄妾の実例』は大人気でした。明治の年代は妾をもつことが男の甲斐性と思われていた時代で権妻(妾のこと)と言う言葉もあり妾を持つ習慣がありました。明治になって少し経つと妾を持ってもよいという法律は消えましたが明治30年代になってもこの習慣が残っていました。有名人の妾宅の住所付きで記事が書かれ、男の面目が失われました。その記事となった有名人の中には森鴎外・馬越恭平などがいて福神漬人脈の中心と思われる浅田正文も書かれました。妾を囲っている有名人は涙香の『まむしの周六』として恐れた。彼はスキャンダル記事は新聞部数を増やす手段として考えていました。彼のニセモノの正義は妾を持ちたくても持てない大衆の嫉妬に支えられていました。大衆の嫉妬に支えられた新聞は部数が拡大し一流新聞となりました。涙香は後に新聞の内容も一流となりたくて日露戦争直前に内村鑑三・幸徳秋水・堺利彦を論説委員に抱えましたが日露開戦論に転向し急に部数が減りました。
スキャンダル 今の感覚と明治時代のスキャンダルの感覚は違っていました。いわゆる大新聞は取り上げていないかほんの少ししか取り上げていなかったが庶民を読者層とした小新聞は積極的にスキャンダルを取り上げて時には捏造してまで読者の興味をそそる新聞を発行し赤新聞と言われていて販売部数が増えても軽蔑されていました。
その赤新聞の代表は黒岩涙香の『萬朝報』で新聞の三面にニュースを載せ泥棒・強盗・詐欺・横領・不倫の記事が中心でした。
特に『弊風一斑蓄妾の実例』は大人気でした。明治の年代は妾をもつことが男の甲斐性と思われていた時代で権妻(妾のこと)と言う言葉もあり妾を持つ習慣がありました。明治になって少し経つと妾を持ってもよいという法律は消えましたが明治30年代になってもこの習慣が残っていました。有名人の妾宅の住所付きで記事が書かれ、男の面目が失われました。その記事となった有名人の中には森鴎外・馬越恭平などがいて福神漬人脈の中心と思われる浅田正文も書かれました。妾を囲っている有名人は涙香の『まむしの周六』として恐れた。彼はスキャンダル記事は新聞部数を増やす手段として考えていました。彼のニセモノの正義は妾を持ちたくても持てない大衆の嫉妬に支えられていました。大衆の嫉妬に支えられた新聞は部数が拡大し一流新聞となりました。涙香は後に新聞の内容も一流となりたくて日露戦争直前に内村鑑三・幸徳秋水・堺利彦を論説委員に抱えましたが日露開戦論に転向し急に部数が減りました。