年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

影の味

2008年09月02日 | 宅老のグチ
影の味
漬物の歴史なんて表向きに記述なんて殆どなく、推測しかないように思える。表の歴史は勝者の歴史ならば漬物の歴史は敗者や勝者の影者・置き去られた者等記録にならない人達の残滓かもしれない。
 『粉もん』庶民の食文化 熊谷真菜著から
『コナス・コネコネ・コネヤ・ゴネル』から『粉飾決算』という言葉から『こな』はいい印象のある言葉ではない。粉食の文化は庶民の文化で食料事情が許す最近まで隠れた味だった。粒食(米)の日本の歴史上石高制などの社会的意味があって、粉食は時代の変わり目の外国から様々な方法で伝来したが戦前までは『代用食』としかならなかった。
 戦後日本の食糧難の時期にアメリカから余剰農産物が日本にやってきた。日本の米に対する攻撃で『米は悪玉。麦は善玉』『米は塩を運ぶ車』として漬物の塩分が栄養学者によって攻撃された。今でも成人病予防として塩分過多は悪玉となっている。このアメリカの小麦戦略によって脂肪摂取量が増え労働量の減った日本人はメタボになったのである。しかし如何に戦略的に小麦を日本の食文化に入れようと思っても過去の日本の歴史から一時的なるのだが戦後の日本人は小麦粉をおいしく食べる工夫をした。その代表はインスタントラーメンであり、たこ焼き、うどんである。戦後日本の粉もの食文化を育てた庶民の工夫とも言える。いま小麦等の食料が値上がりしているがまた庶民が工夫してこの危機を乗り越えるだろう。なぜなら生きねばならないのだから。
コメント
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