年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

カレーライス本の誤り

2008年09月24日 | 福神漬
明治屋食品辞典 (中)昭和42年刊第三版
ふくじんづけ(福神漬)
『『福神』とは七福神の略であるが、明治18年(1885年)東京市下谷仲町・酒悦・野田清右衛門がなた豆、だいこん、シソなどを醤油で煮込んだものを漬物として売り出そうとし、梅亭師に命名と引札を書くことを頼んだところ、師は酒悦が上野不忍池のほとりにあること(弁天島が池の中央にある)と材料を7色に増やすことによってこの製品を七福神と見たてて『福神漬』と命名した。発売の翌年明治19年上野公園にて大日本水産会第一回品評会があり、その品評会の売店に出陳し好評を博した。その後各地に類似品が出て、みな福神漬と称したので、やがて福神漬という名称は普通名詞となった。そこで野田氏は『酒悦』を登録し商標に用いている。そんなわけで福神漬には規格も定義もない。酒悦は江戸時代から老舗であってもともと、カラスミ、うに等の珍味を売る店であった。その後経営者は変ったけれども今に至るまで福神漬の秘伝の造り方を守り伝えている。
 酒悦の発表によれば材料はナス、カブラ、ウド、しいたけ、なた豆、割り干し大根等の7種を用いる。まず始め水洗いし圧搾し水分を抜き秘伝の特別な漬け込みを行う。一方割り干し大根は切り刻んで、圧搾、特殊漬け込みを行う。そこで各材料を調味液に漬けて仕上げる。調味液はみりん、砂糖、しょうゆで製する。』

明治屋食品辞典は食の歴史の基本文献でまして創業が明治18年となればそれ以後の年代ならば創製年月が不明であってもだれも疑わないだろう。この文にある上野公園で開催された第一回水産博覧会は明治19年でなく明治16年3月から開かれている。従って多くのカレーライス本に書かれている福神漬の創製年月は誤りで酒悦サンの話だと明治10年代との事となる。
 この辞典ではっきりしていることは『福神漬』が普通名詞となった理由でJAS規格に『ふくじんづけ』がある理由がはっきりした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする