年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

こしかたの記 鏑木清方著より

2008年09月16日 | 福神漬
こしかたの記 鏑木清方著
戦後まで生きていた日本画家鏑木清方の随筆は明治の下町の風景がよく見える。今の東京都中央区にある京橋税務署・都税事務所は関東大震災まで新富座という歌舞伎等を公演する劇場であった。鏑木清方は少年時代に彼の自宅から歩いていける範囲内にあったせいか頻繁に出入りしていて後に新聞挿絵画家としての素養を得たような気がする。
 明治23年新富座で上野の戦争を題材として『皐月晴上野朝風』が上演された。上野戦争で亡くなった人達の23回忌とかで明治も落ち着いて明治政府も武士の時代に逆戻りしない自信が付いていたのか上野戦争(彰義隊)物が上演できた。まだ戦争の関係者も生きていてかなり評判がよく、江戸と呼ばれた時から東京に住んでいた人々には涙を誘ったようである。
 明治23年にはすでに福神漬が発売されて時間が経っているので普及は何処まで進んでいたのだろうか。福神漬の中身の7種の野菜は上野池之端周辺で手に入りやすい野菜である。当時のレシピを見ると今では手に入れにくい松茸などが入っていた。どちらかと言えば精進料理のようにも思える。
コメント
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