年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

明治屋73年史・100年史より

2008年09月22日 | 福神漬
明治屋73年史・百年史より
明治屋の創業は明治18年10月頃で磯野計は郵便汽船三菱が明治18年9月30日に解散する以前に三菱を退社したと思われる。磯野計は三菱の給費留学生としてロンドンに派遣された。彼は日本における複式簿記の先覚者でもあった。ロンドンから日本に帰国する時郵便汽船三菱会社(現、日本郵船)の新造船「横浜丸」を英国のグラスゴーから横浜へ事務長として回航した。船舶事務長の仕事は船舶に必要な物資を調達する業務を執り行うがとかく現在でも不正が付き物の仕事であった。この船には川田竜吉(第三代日本銀行総裁川田小一郎の子息)も乗っていた。彼はこの仕事の経験から横浜に帰ると横浜で居留地の外国人商人にシップチャンドラーの仕事を独占されていて暴利を取っているのを知り、三菱の近藤廉平(こんどうれんぺい)に働きかけ、日本郵船の発足と共に日本人による船舶納品業を始める機会と思っていて三菱を退社し明治屋を創業した。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする