年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

会いたかった人 中野翠著2

2009年01月10日 | 福神漬
会いたかった人 中野翠著2
松廼屋露八(土肥庄次郎)

幕臣の子が吉原の遊郭の幇間となり、戊辰の戦争に参加した。明治になって再び幇間となって、宴席にその芸を披露した。当然顧客にはかって敵対した官軍側の人にも宴席で芸を見せた時もあっただろう。どんな心境であったのだろうか。
 この本によると三遊亭円朝の最初の妻、梶田楼のおいらん(愛人・あいひと・本名おとく)で後に福地桜痴のなじみとなったが露八と結婚したという。明治36年に亡くなった時、彼の遺言で松廼屋露八は彰義隊の戦士が眠る円通寺の葬られたと言う。幕臣の心を持ちつつ宴席に出ていたのだろう。

義理・人情に厚く、涙もろいという典型的な江戸っ子だった榎本武揚は彰義隊同志の上野戦争を偲ぶ会で幇間を勤めた松廼屋露八を彰義隊同志土肥庄次郎として処遇したと言う。
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